2011年2月27日日曜日

トリュフの娘

トリュフ作る娘。ほぼ、粘土細工。父さんが、甘党で良かったね・・・この甘さに耐えられる父親は、少ないと思いました(笑)。

娘は今日で最後の、ピアノ教室でした。私は、娘が部屋でピアノを弾いてるのを、ほぼ、聞いた事が無くって、それでも続けたいと云ってた???ので、3年以上通わせてたピアノですが、来年に受験も控えて、塾で勉強する教科を増やそうと思ったついでに、辞めてもらう事にした。

一桁代の年齢的な幼さも残した、面白い娘ですが、いよいよ受験や世間と云う荒波の前に、甘ったるい幼さを捨て去る無情さも、必要なのか。それとも、他に生き方もあるのか。

今日(土曜日)は花粉症がどっと来ました。フランスに住むという、兄の友人が語るには、フランスにいても、やはり花粉症になるそうな。フランスにも花粉はあるから、当たり前なんだそうですが、フランス花粉の花粉症なら、ちょっとオシャレかもしれない。たぶん、ハックショ〜イ!なんて野暮なクシャミ声では、無いと思う。

私の花粉症は、注射を一本打てば、その年は平気なんですが、強い注射なもんで、毎年は打てない。それで、ヒドイ症状の年を狙って打つんですが、今年はどうかなぁ。

2011年2月24日木曜日

ヤマドリ警備隊、東へ

ヤマドリ警備隊は、コンパスを使用した山岳機動訓練を、行いました。最終到達地点は松山城の西側にある乾門手前の「カシの木坂」。途中、中継地点に「水源地」広場を経由します。

訓練の想定:西側登山道を俯瞰する位置にある、「ドングリ広場」のカラス監視所からの監視を避けつつ南東に迂回し、乾門より松山城に侵入し、本隊の登城を支援する。
 1500分の1の道路地図をトレスして作った、簡易地図。レンザコンパス使って地図を北に向け、目的地の方角を、目盛りに合わせます。
コンパスを身体の正面に沿え、針を北に合わせた時の、矢印の向く方向が、目的地です。今日は竹製の杖を標桿代わりに使って、位置合わせを行いました。

コンパス使った移動方法にも、色々なやり方があると思いますが、ここで紹介するのは、私の都合で考えた一例に過ぎません。軍用のコンパスには、コンパス自体に指標が付いていて、それを覗きながら位置調整したりもしますね。
基準となる杖の位置から、コンパスの矢印の方向に移動する隊員A。大体の当たり(目標物)をつけてから、移動します。
相手から見える位置で停止して、自分の杖を地面に立てます。杖には五円玉の付いた紐が下がっていて、地平線に対して垂直になるように、します。

基準の杖の位置に居る私が、隊員Aの杖と、基準の杖とが矢印の方向に重なるように誘導し、位置が決まれば隊員Aの杖を固定し、今度はこれが基準の杖になり、役割を交代して進みます。これの繰り返し。
地形を無視して、真っすぐ移動する訳ですから当然、道無き道を進みます。平坦な場所なら、成るべく遠くまで移動したほうが正確ですが、崖道、谷底などは、見える範囲の移動です。
崖を乗り越え、杖をポイントする隊員A。今度は私が、この崖を登ります。
谷底を迂回し、
また崖をよじ上り、
方角を定める姿も様になって来た、隊員A。写真手前の基準の竹の杖から、紐の付いた五円玉が下がってるのが、解りますね。杖が互いに水平になってないと、測量の誤差が増えてしまいます。それでなくとも、簡易な測量器具ですから。

私は、山登りの時は大抵、この竹の杖を使います。ホームセンターで買えます。てっぺんにペグを差し込む穴を空けておけば、先日のように天幕の支柱にも使えますし、非常用担架の資材や、何となれば護身の道具にもなったり、色々な用途に使えて、非常に便利で丈夫で軽くて、良いです。
約1時間かけて、中継地点の「水源地」広場に無事到着しました。普通に歩けば、20分くらいの行程ですので、約3倍かかってますね。地図上のポイントとの誤差は約5メートルくらいで、上出来です!・・・もっとも、これは地図の方が正確であった、と云えるでしょう。
小休止中の隊員Aの、する事と云えば、やはりコレですね。今日(23日)で期末テストも終わり、ホッと一息の隊員A。家に帰るなり、ニヤリと笑みを浮かべてたあたり、少しは自信があるようですが、以前もそんな感じの期待外れがあったので、まだまだ油断は出来ませんよ。
今度は標桿使わず、コンパスの矢印のさす方角に、コマメに当たりを付けながらの、単独移動。「水源地」広場からは真北の方角へ、薮を抜けつつ、山を登って行きます。
目標を見据えて、目指す方向を確認する隊員A。もうコツも理屈も心得たようで、何も指導する必要もありません。
自分の人生の山坂も、そうやって目標据えて、一途に登ってくれれば、隊長は有難く、訓練の甲斐も有ろうという物でしょうか。

最後は約15メートルくらい逸れましたが、ほぼ目標地点に到達致し、無事訓練を終了致しました。帰り道、ヤマドリ警備隊に、別動隊の「隊員C」の入隊が決定した事を、隊員Aに告げましたら、喜んでました。これで編成上は、4名になりました事を、ご報告致します。(誰に?)

2011年2月20日日曜日

春雨で良かった

土日は、普段は忙しくて、娘を遊びに連れて行ってやれなくて、申し訳ない。が、どちらにしても、娘は明日から期末試験があって、今日は一日勉強をしてた、筈なので、日が落ちてから、恒例のアレをしました。
 今日は雲のない夜空で、星は沢山輝いてましたが、月が出てなかったので、山中は相当暗かったです。私も少し、緊張しましたが、そういう素振りは見せません。でも、一人では嫌だったでしょうね、今日の山は。

普段は片道の行程を、今日は往復致しましたので、帰りは来た道の逆ですが、それでも難しかったです。全く真っ暗で解らないところもあって、そういう時は仕方が無いので、ライトをつけます。つけた途端に、怖い物が見えたら嫌だな、なんて事も、考えなくは無い。
 1時間以上歩いた帰りの道すがら、少し空き地になってる所に、簡易天幕を張りました。黙々と作業する隊員A。赤いフィルターの薄いライトの光に、照らされながらの作業です。遠くの麓の飼い犬が、私達の気配を感じて、ずっと鳴き続けてました。犬は凄いですね。
 ビニールシートと、ビニール紐4本、杖を利用した支柱と、シートと杖を固定するペグ2本で作った、簡易天幕。椅子まで備わって、山の別荘の出来上がり。本当は、雨の日にこれをやりたい。雨が降ってないと、天幕の有難さが半減してしまうし、ポトポトと雨打つ音の風情も、また良い物です。

こういう天幕は、自己流です。強い風には弱い構造でしょう。しっかり張るならば、支柱にもロープが必要です。或はタープの様に、ロープを高い所に張って、片流れの天幕にしたほうが、良いかもしれませんが、私は単にこの形が好きなんです。

自衛隊でも、個人用の天幕使った野営訓練なんて、たぶん無いでしょうね、今は。手間で重たい個人用天幕使うより、部隊単位でシステム化、ユニット化されてきて、簡単快適合理的な野営が世界的にも主流です、たぶん。なので、こういう訓練は、自分で工夫して、自分の好きな状況作って行ったほうが、楽しいです。
山の中では、火は使えませんから、今日は魔法瓶に熱湯を入れ、娘のリュックに入れて運んできました。外装がプラスチック製の、運べる魔法瓶は、「のだめカンタービレ」の映画にも出て来てたやつらしい、覚えてないけど(妻談)。1時間以上経ってましたが、アツアツでした。

今日は春雨スープを食べた。ここでヤマドリ隊長は、箸を携行するのを忘れてた事に、気が付いたので、応急に枝を使って箸を作りました。今日は春雨で良かった。スパゲティだったら、フォークを作らねば、ならなかったろう。

真っ暗で緊張した夜行軍でしたが、隊員Aの色んな感覚も冴え渡り、明日のテストはさぞや、好成績を取ってくれるであろうと、隊長は期待してます。

2011年2月19日土曜日

木工深夜便

土日を挟むので、注文の材はまだ届かずだったり、手配が遅れて申し訳ありませんのメールが来たりで、ソッポーズの製作が進まず、結局、他の作品を作る事にした。今日はそれの為の製材も少し。製材も楽しくはあるけれど、何となく生産的な気分にはなれない。
製材で 厚みとった材をカットして、穴開け中の所。以前作った治具が役立つ。クランプでしっかり固定出来て、心地良い。それに、このドイツ、ベッセイ社製のワンタッチクランプも、軽くて扱い易く、操作もワンタッチで良い感じです。使って楽しいクランプですね。
今作ってるのは、この赤ちゃんストラップ。数は45個くらいかな?写真では付いてませんが、ストラップが付きます。差し上げると喜ばれてる(たぶん)玩具ですが、さて、どなたかに買って頂けるでしょうか?

作業中は、NHK-FMのラジオ放送を聞き流してますが、前も書きましたが、ラジオ深夜便はいい番組ですね。で、ついつい、聞き耳をたててしまうと、作業が捗らない。もっと、集中せねばならないのだけれど。

特に、落語の時は、困ってしまう。著名人が自分の母の想い出を語るのも、捨て難い。名をなした人の親の子育ては、何かと考えさせられる事が多い。今活躍中の、各分野の専門家の方々の話しもいい。今日は第五福竜丸保存館の館長さんのお話。最近はNHKテレビでも、こういう戦前戦後の暗い話題の番組が少なくなって、逆にラジオのほうが、良く扱ってくれている。

朗読や、語りの方の話しもいいし、話し方の勉強にもなる。とにかくまぁ、映像の無い世界の方が、心を引き込んで行かれるのも、そういう歳になったのでしょうか。

2011年2月18日金曜日

音で見る仕上がり

 今日も製材。狭くて足の踏み場も無いようですが、踏む所くらいはまだ、あります。環境的にも、機械能力的にも、ここで製材までするのは、ちょっと無理がありますが、何とかやってます。

仕上げ、カットされた材を買うと、荒材で買うより2倍は高いと考えても、いいんでしょうが、荒材で買うと、製材するのに時間と労力と機械と場所を使いますから、私のような小さな工房では、どちらが良いか、まだはっきりしない。

荒材を製材して、厚みをとった後の、自分の規格外の端材の保管も悩みの種になる。使える作品が沢山あれば良いけれど、中々そう上手くはいかない。
 スティールシティ社製の自動カンナ盤も大活躍しました。材種によって、切削音が違います。この写真のブラックチェリーの時は、サクサクと心地良い感じの音です。切削肌とハナ落ちの様子が解りますでしょうか。

最初は、何となく気に入らなかった、この自動カンナのナイフマークですが、馴れてしまうともう、平気です。
これはオニグルミの肌。音はやや固めでチリチリって感じ。ヘリカルカッターのナイフマークが沢山写ってますが、これによる段差はありません。
硬いハードメイプルは、さすがに硬い感じの音でした。少し厚めに削ると、バチバチと大きな音を立ててました。

以前の記事であまり良い評価をしなかった、スティールシティ社の自動カンナですが、今は少し、その事を後悔しています。問題が無い訳ではないけれど、機械の評価は、使用者の使い方や馴れも、影響するなぁって、思った次第です。失礼致しました。

2011年2月15日火曜日

クリップの秘密

 写真は15年くらい前、予備役の訓練中。この頃は、陸自の服はオリーブドラブ(OD)色の、この作業服と、戦闘用の迷彩服に分かれていましたが、現在は全て迷彩戦闘服に統一されていて、この作業服は地方の予備役訓練で使用するだけのようです。

この旧タイプの縫製の作業服(迷彩服)の、最大の特徴は何と云っても、ファスナー式である事です。世界的に一般的なボタン式と比べての、利点は何も感じられませんでしたが、ファスナーが壊れて困った、という事を一度も聞かなかったのは、日本のファスナーメーカーの技術の高さを物語っている。

ただし、この為にか、裾をズボンにたくし込む着装方法だったのは、野戦に於いては全く実用的ではなかったと、断言出来る。とはいえ、愛着のある服です。

頭に被っているのは、プラスチック製のヘルメット。「ライナー」と呼んでいます。作業現場の安全帽と同じ役割で使用しますので、車輌に乗る時は必ず着用します。他、一般の作業や災害派遣時に着用しているのは、このライナーで、皮のアゴ紐が付いてます。
 鉄帽を被る時は、ライナーを鉄帽の下に組み込んで、内帽として着用します。鉄帽には迷彩柄の布カバーをかけてます。これは20年くらい前の写真で、迷彩柄が古いパターンです。ライナーの内側の様子が解りますね。この写真では、ライナーの革紐は鉄帽との間に挟み込んでますが、下の写真では、鉄帽の庇に巻き付けてあり、こちらが正式です。
鉄帽を頭部と固定するのに、上の写真では布紐が使われてます。これは鉄帽と一緒に国から支給される「官品」のアゴ紐。それぞれ左右の布紐でアゴを挟んで結わえますけれど、直ぐに緩みます。

なので、この紐は新兵の時か、パレード行進の時くらいしか、使いません。それまでは無くさないように(国の物だから!)、小物入れに保管します。それじゃあ、普段はどうしてんだって、云えば、それぞれに自分の財布のお金で、民生品のアゴ紐を買うんです。
民生品のアゴ紐を付けて、訓練中の所。スナップ式で着脱がし易く、紐も丈夫です。何故始めからこれを正式化して支給しないのか、全く謎です。一度正式化してしまった装備は、中々変更されないのは、旧軍もそうだったようで、非常に日本的です。

鉄帽には偽装網をかけてます。冬だったので、この迷彩柄では目立つとて、麻袋を裂いたキレを持って行って、勝手に結わえて冬仕様にしてありますが、別段怒られませんでした。
 10年くらい前、新型小銃の取り扱い説明を受けてる所。現職の教官の頭には、新型のヘルメットが乗っかってます。手前は予備役隊員なので、まだ旧タイプ。服も旧タイプの作業服ながら、サスペンダーは新型と、新旧混合してた時代です。

さて、ここが本題なんですが、手前の隊員のヘルメットの縁に、黒いクリップが付いてるのが、お解りでしょうか。これは何の為の物かと云えば、ライナーと鉄帽を密着固定させる為のクリップです。

これが無いと、アゴ紐を付けていても、例えば駆け足などした時に、上下動の度に跳ね上がる鉄帽が、ライナーと衝突して、頭をガンガンと叩き続けるのです。或は、地面に伏せた途端、ライナーから鉄帽がズリ落ちて視界ゼロ、なんて事にもなる。

よく考えれば、そもそも、重たい鉄の帽子を、細い布紐を2カ所に付けただけで、頭に固定出来る訳が無く、構造的に大きな欠陥があった訳ですが、辛抱強い日本の自衛官は、これを約半世紀の間、クリップの力をかりて我慢して来た訳で、これこそ自衛隊の最高機密に属したかもしれない。

私は新隊員でこれを経験し、元々ある程度、自衛官である事に自虐的な意識はあったけど、ここまでひどいかぁって、落胆したものです。つまり、鉄帽とライナー同士の固定、鉄帽と頭との固定、この2つとも不完全なまま、激動の20世紀の冷戦時代を乗り切れたのは、ただただ、運が良かったとしか、云う他ありません。
現在使われてる、新型ヘルメット(写真は同型の海自仕様)。ライナーは無く、固定も3点式でしっかり頭に固定出来、これでようよう普通に作業出来るように、なりました。

匍匐すると、ずれ下がってオムツになる戦闘服、固定出来ないヘルメット、など、私の時代にもし、戦闘行動の現場に直面した場合、飛んで来る敵の弾より先ず、自分のお尻と頭の事の心配をせねばならなかったのは、恐ろしい事です。

色んなデータや政治思想などで、外から語られる事の多い自衛隊ですが、実際の自衛隊が、それぞれの時代に於いて、どういう存在、位置付けであったかが、その時代の服装装備、例えばアゴ紐一本でも解ろうというものです。

2011年2月14日月曜日

赤い線は治具の印

 凹面を研削加工するのに、ベルトサンダーの背当て板治具を作りました。垂直の出ているブナ材の板の各面を、用途に応じて当てて研削するんです。写真はその使用例。赤い線の入ってるのは、これが治具である印。
 板面を当てたり、木口を当てたり。固定式の背当て板では、こういった凹面加工に対応出来ない事が多いです。
 何より重要なのが、テーブルとの直角精度です。どちらの面も直角が出ていないと、奇麗な加工が出来ません。
 写真向かって右側は、今まで使ってた物。木切れで一時しのぎしてたのを、ずっと使ってましたが、手で支えてるので、直角精度に難があった。それでなくとも、お高くて申し訳ない私の玩具なので、せめて値段なりの仕上がりを、追求せねばならない。

向かって左が、今回作った物で、背板に支えを付けて、安定感を増しました。簡単な作りなので、摩耗したら、また作ればヨロシ。
 背板が直角に当たれば、このようにパーツを組み合わせた時に、甘い加工の隙間の無い、奇麗な仕上がりになりますね。
20個分の材料の一部。数を作るだけの作業にも、色々と研究の余地がありますが、最も重要なのは、集中力の持続でしょうか、はぁ〜・・・。

2011年2月12日土曜日

概ね良好である

ヤマドリ警備隊は、雨天時を想定した、夜間山岳機動訓練を行いました!訓練場所は、家から車輌移動で約◯◯分の所にある、◯◯峠と呼ばれる登山道です。(検閲済)

本当は、想定ではなく、実際に雨の中を機動したかったのですが、期待した雨は降りませんでした。それでも装備はレインコートを、全隊員が着装しました。
 薄曇りながら月の光も差し込み、道は良く見えました。風も無く、気温も低過ぎずで、坂道の登坂中には汗もかきかき、山を登る隊員達。約30分かけて、峠を目指します。

住宅地も麓に並ぶ、街にも近い低い山ですが、急勾配の岩肌を登って行くような場所も多くて、ちょっとした運動になるコースです。
 峠から見下ろす、松山市の夜景。光の帯の向こう側は、瀬戸内海です。
 今回の訓練目標の一つが、大休止中の糧抹補給に、温食を摂る事です。小型携帯コンロで湯を沸かして、カ式簡易温麺を作って食べる隊員A。ずぶ濡れの、凍える身体で食べさせたかったのですが、何となく快適な夜食風景になってしまった。
 食事が終われば、更に訓練は続き、峠の反対側の下り道を、約30分かけて降りていきます。最近の雨のせいか、下り勾配の山道はぬかるんでいて、杖が無いと足を滑らせそうです。各隊員、現地調達の杖を手に、やや横歩きで慎重に降りて行きます。雨の日の登山装備には、杖の用意が欠かせない事が、はっきり致しました。
山を下りた直後に、仲良く手をつないで歩く隊員達。どちらが大人でしょうか。山を下りたらば、車を停めてある登山口駐車場まで、約20分かけて歩きます。登り始めから、駐車場到着まで、約2時間の訓練でした。今回は誰も尻餅をつく事もなく、無事に訓練を終了出来ました。

今回の訓練の講評は、訓練総監から「概ね良好である」を、頂きました。

2011年2月6日日曜日

目玉ウィング完成

 もういい加減、これを仕上げないと。で、今日は最後の組み立て、仕上げ作業。背びれを胴に差し込んで、ダボで両側から固定。接着剤は使わない。
 4ミリ丸棒のダボを、穴の奥に打ち込むのに、こういう小さな治具を使う。ある程度木槌で打ち込んだら、治具を当てた上からコンコン叩いて、埋め込みます。
 治具の細い金棒は、L字ヨートの金物の、折れ目から切断したもの。赤いマジック線は、治具の印。こうしとかないと、ゴミと間違えてしまうし、探す時に見付け易い。
 目玉の白目パーツ固定には、さら木ネジを使います。更に、ダボを2本打ち込みますから、これで剥がれる事は先ず、ありません。金物は、使える場所には積極的に、使ってやりたいと、思ってます。強度が全く違ってきますからね。
組み上げて、仕上げのオイル塗って、ようやく完成!奥は強度試験に使った子。あれから型を少し変えましたが、基本的には同じデザインです。量産する時は、目玉の白目パーツのデザイン(型)をやや、手直しする予定ですが、見た感じ今とほとんど変わらないでしょね。
これを、量産するつもりです。色もこの2色。壊れ難さは、ある程度自信がありますので、安心して販売も出来るかもしれないが、心配の種は尽きまじ。

ボール盤夜想

この数日間は、随分忙しくて、何も創作活動出来ませんでしたが、ようやくゴソゴソする時間も、出来て来た。

先日書いた、ボール盤ブレーキの案ですが、写真で載せた方法は、構造的に無理があるようですので、一旦オシャカにします。

チャックを手で掴んだり、木を押し付けたりして止めても、3秒くらいで止まるので、それで良いのですが、オフ・スイッチに指を持って行ってから、流れるような操作で、サッと止められるような、メリハリのあるブレーキが欲しいのは、たぶんワガママだ。

チャック自体も、キーレスチャックなら、作業が早くなるかと思ってたけれど、一回り小型のボール盤(マキタ)のチャックで購入して、使ってみましたが、確かにキーを探す手間は省けましたが、両手でチャックを回す手間が増えたりして、それほど便利には感じなかった。

最初にドリルを咬ませる時などは特に、片手でチャックを回さないといけませんが、これが回しにくくて、ストレスを感じた。中々、思い描くようには使えないのが、道具ですね。

ボール盤なんて機械は、木工機械の中でも非常にアナログな機械の代名詞、みたいな風情もありましたが、最近はデジタル表示式やレバー操作の無段階変速、レーザーポインター付きなど、非常に進化して来ていて、ちょっと楽しいですね。さて、今後どう進化するのか。

そうは云っても、ベルト架け替え方式も、手が馴れてしまえば、案外早く作業も済んでしまいます。回転数が5段階しかないのも、細かな回転数の設定を考える必要が無くて、良いかもしれない。デジタルだと、さて、何回転が良い物か、自分で考えなければいけなさそうで、それはそれで、大変かもしれない。

昔ラジコンで、無段階変速器が市場に出た時は、大変嬉しかったですが、使ってみると、操作が難しくて、以前の2段階変速器のほうが、単純で良かったかなぁなんて、そんな感じでしょうか。

ボール盤で作業する時は、椅子に座って、両足で抱え込むような感じの格好で、機械と同じ目線の高さで対峙して、作業してますので、一番親近感のある、機械かもしれない。