2012年9月17日月曜日

刃物と子育て

久しぶりに、娘と走った。最近は美術の補習で帰りも夜遅く、中々一緒に走る時間も持てません。

日曜も忙しい父さんを尻目に今日は、一人で自転車で港まで出かけてたらしい、娘。まるで、親戚かもしれない木彫り作家さんみたいな事をして、楽しかったそうだ。

授業も楽しく、友達もたくさん出来て、毎日充実しているようです。
それで、うかれているので、父さんは走ったついでにナイフ格闘もしてやった。

日本国内で起こる犯罪に使われる凶器の多くは、小型の刃物、ナイフなのは今も昔も変わらない。

ナイフは闘いのプロも使う。自衛隊では最近になって、ようやく対ナイフ格闘の訓練を本格化してきている。そこでは打撃と組み合いが混合された容赦の無い世界であって、それが現実であろう。

理想に生きる努力と、現実に備える努力の両方を持てれば、良いと思うけれど、中々人間はバランスよくは生きられないようだ。

刃物は、ただ向けられただけでも恐ろしいものだ。小学生の女の子が、知らない男に云われるままに、カバンの中に自分から入って行ったのは、刃物への恐怖からだったろう事は、良く理解出来る。男が自家用車を持ってなかったのが、女の子には幸いだった。

刃物を向けられたら逃げろ、というのは、正解でもあり、間違いでもある。刃物を向けられたら、普通は逃げられなくなる物だ。女の子は緊張と恐怖で、呼吸さえ上手く出来なかったろう。

柔道や空手をしたところで、刃物に対処出来るものでもないのは、練習の中にそもそもそういった状況が、組み込まれて無いせいもある。

また、護身術のように、一通りの型をマスターしたところで、大した保証にならないのは、武道経験者の多くが警告する通りだろうと、おもう。

それでも敢えてこうした訓練をするのも、逃げる身体と心の両方を持てるように、するためだ。何度も反復体験した事のある状況に対し、身体と心が過度に緊張する事を防ぐには、こういった体験が不可欠と、私は考えている。

或は、命を奪われる状況に遭遇した時、最後の最後まで、犯罪者の人情に頼るしかすべが無いとすれば、それは最大級の不幸である。

戦場でなければ、刃物を向けられた時に、大声を出せる心と身体があれば、それだけで危機から脱出出来る可能性は、うんと増えよう。それに、何度も書くが、こういった運動はお互いに楽しくて、親子の情も深まるの・・・だった。

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