2010年11月17日水曜日

野外炊事訓練

日夜、本業に隠れて「絵本玩具」の研究に勤しむ、「ヤマドリ警備隊」ですが、今日は隊員揃って「野外炊飯訓練」を、秘密裏に実施致しました。場所は久万高原町にございます、秘密のヤマドリ演習場。

車輌で移動、陣地進入した後は、炊飯陣地の構築です。写真は、防寒外套一型を着用した隊員Aによる、炊飯陣地資材搬入中の場面。教範通りの見事な搬入姿勢をご覧下さい。
 次に、携帯円匙(エンピ)での、炊事壕の構築。掘開部をエンピの先で田の字に切り込み、これを経始線として、ブロック毎に底からすくい上げていきます。ブロックは元の順番通り、壕の左脇3メートルの位置に保管します。
 壕を掘ったらば、堀土を前面に積み上げて築堤し、余分な風の侵入を防ぐ。左右には丸太を配して托架とし、飯盒用渡し木(竹)を托す。(以上、ヤマドリ露営教範 第3節 飯盒炊事より)

当陣地に於いては、風向きは陣地に対して、前後に不規則に変化するため、風の上下は左程配慮しないのが、通例である。写真は、防寒外套二型(簡易式)を着用して、火力調整を行う隊員Aと、調理長。
 この自衛隊飯盒は、3合炊きです。蓋にフックが付いていて、吹きこぼれで蓋が開くのを防ぎますが、実際は、蓋を皿代わりに使用する際の、取っ手の役目で使います。自衛隊の訓練で飯盒炊飯する事は、ほとんどありません。飯盒は主に、食器として使われてます。

戦闘中に、呑気に飯盒で飯を炊く時代は、もうとっくの昔に過ぎ去ってます。旧軍はその点、大変な苦労をしたようで、煙を出さないように、地下式の炊事壕なんて物も作られてたようで、穴掘り作業も大変だったでしょうが、それより一番問題なのが、燃料の調達だったでしょう。

日本軍の駐屯した後は、何も残らないなんて、云われたのも、燃料確保の為にそこら中の木質材料(家の戸とかテーブルとか)を、薪にしたせいも、あったようです。
 蒸気の煙が、焦げの煙に変わる前に、飯盒を取り上げます。このタイミングが難しいかもしれませんね。いつも勘で済ませますが、今回も上手く行きました。ふっくら炊けて、底にうっすらお焦げも出来ました。

飯盒炊飯で一番肝心なのは、実は、炊き上げる前の段階、お米をしっかり水に浸けておく事です。飯盒のときは数時間前(出掛ける前)からでも構いませんし、時間が長過ぎて困る事は、ありません。一晩浸けておいて、朝水切りしてタッパーに入れて、保冷剤と一緒にクーラーに入れて、現場で再び水を入れると、手間が無いです。
オカズは、炭を使ってバーベキューしました。これはまぁ、普通ですね。
焚き火も済んだら、原状復帰して帰ります。保管しておいた表土のブロックを被せて、落ち葉なんかもかけてやると、ここで焚き火した事も解りません。紅葉がちょっと、わざとらしかったけど。

焚き火跡は、中々自然の姿には返らないですから、ここまでしなくても、黒い炭なんかは持って帰って、ゴミで出すのが良いと思いますよ。手間だけど、始めにすこ〜しなりとも、土を掘ってから焚き火をしたほうが、灰や小さな炭を埋める事も、出来ますね。
娘が見付けたキノコ。これは何とかタケといって、食べられるんよ〜なんて、云ってましたが、もちろん食べませんでした。知識だけは持ってる娘。

他にも色んなキノコを見付けましたが、ホコリタケがいっぱい生えてて、小さな巾着みたいなのを踏むと、ブワッと胞子がホコリみたいに吹き出して、楽しいのを、隊員総出で行いました。隊員Aは、今回の訓練でこれが一番「楽しかった」そうです。

2010年11月15日月曜日

夜間陣地潜入訓練

さあ、いよいよ塗装です。ホルベインのカラーインキで、筆塗りです。さっさと色を決めながら塗らないと、時間が足りませんが、これが中々・・・。
もう夕方も6時前には、すっかり暗くなって来ましたが、今日はそんな暗がりの中、娘と城山に登りましたが、明かりのある、整備された登山道を外れて、薮中の裏道を通りました。

私の家庭の日常は、とても平凡な日々の繰り返しなので、娘も最近は生活に緩みが生じてるような、感じがしてましたので、ちょっと日常に、緊張を入れてやろうと、思い付いた訳です。

もっとも、急に裏道に入ると告げても、素直にヒョイヒョイ付いて来る娘。やせ我慢もあるでしょうし、好奇心もあるでしょうし、何より父さんは自衛隊に行ってたんだから、一緒に居れば、こんなの平気に違いないって、思い込みがあるに違いない、と、私はふんだ訳ですが、後で聞いたら、その通りな感じでした。

でも私は些か緊張は、してました。真っ暗な山中、何があるか、何が出るか、解りませんから、それなりの覚悟はしておかないと。娘の勝手な思い込みを利用すれば、怖い空気も薄らぐんじゃないかな。だから取り敢えず、私が落ち着いたフリをしてないと。

しかし、いよいよ真っ暗になると、途中、道に迷ってしまいました。ある筈の曲がり道が、解らない。ボンヤリ見える、道らしき影に近付くと、薮にぶつかるので、ここは違うって、解るけど、じゃあ、何処?

仕方ないので、四つん這いになって道を探りました。道は落ち葉の様子や土の固さ、色などが違うので、たどって行けば、道の続きに進める筈。格好良い姿ではないけれど、格好を気にしてたら前に進めませ〜んっていう、実践ですね。

で、娘はその辺から緊張した様子で、「自衛隊でも、そうするん?」なんて、聞いてくるので、「仕掛け爆弾が有る時は、こうするね。」なんて、のどかな親子の会話を交わすうちに、ようよう、目的の曲がり道を見つけました。

眼をつぶっても、通れるかなぁなんて、思ってた裏道でしたが、実際真っ暗になると、解らない物で、私も緊張しましたが、それなりに楽しかったです。娘も、そうだったようで、またやってみようと思います。

2010年11月2日火曜日

カメラを知らんかね?

さて、連隊本部に呼び戻されて、叱責を受けると思いきや、連隊長はいたくご機嫌で、「敵の航空作戦を良く攪乱した功績」とかで、賞与(ピーナッツ)と昇進(上等兵)が与えられたそうな。

もちろん、本来の任務行動を逸脱していた事は、誉められた事ではなかったけれど、連隊長には、親方の能力を知るにつけ、更に高度な軍務に就かせてみようと云う、腹づもりがあったようだ。

当時、親方の所属する連隊は、師団作戦の第一線部隊として、敵築城陣地に対して攻撃前進の命令を受けたばかりであったけれど、未だ敵陣地縦深の詳細な情報を得らずに、焦っていた所であったらしい。それで、連隊長は急遽、ルル親方を本部に呼び戻し、敵陣地の詳細な航空偵察写真を撮らせようと、考えた訳です。

それで、何度か危険な偵察飛行をこなした親方でしたが、その時に使った軍の航空写真機が重たくて、思うように飛べないのが不満だったらしく、早速、自分で新しい航空写真機を、作り上げてしまったそうです。

部品材料は、部隊の資材置き場や、将校用の私物行李の中に入ってた、機械製品、それと、何処にあったのか、当時最新型の小型写真機など、部隊の中で全部調達してしまったそうなのが、ある意味、親方の凄い所です。

・・・続く。