2010年12月26日日曜日

ラミンよりブナ

これは前に落下実験した時に裂断した、ラミン丸棒の車軸ですが、こういうのを見直しながら、ふとある事に気が付きました。以前に、割れ易いウォルナットに丸棒を繊維方向に直交に埋め込んで、補強してから衝撃破壊試験を行いましたが、これは結果が芳しく有りませんでした。
こういう感じでした。2〜3回叩くともう、パッカリ割れてしまいます。それで、丸棒の補強は効果が無いと思ってたのですが、よく考えましたら、先ほどの落下実験の時に、ラミン丸棒とブナ丸棒と、同じ径ながら、強度が数倍違ってましたので、これをブナ丸棒で実験しない事には、諦めがつかないと思って、色々と実験してみました。

まだ、実験途中でまとまった記事は書けませんが、大体良い感じです。イケルかもしれない。諦めてた形も、作れるかもしれません。たぶん、大丈夫だ。ちょっと、大分嬉しいかもしれない。

これも、壊れてくれた玩具達のお陰です。壊してみないと解らないもんですね。次回は、嬉しい記事が書ければ良いけれど。

2010年12月21日火曜日

モヤモヤなステーキ

娘の成績が少し、上がったので、何か食べたい物があるかと尋ねたら、ステーキを食べたいと云う。前回のソバから、いきなり贅沢になったではないかと、思ってみたが、本人曰く、「私はまだ、一度もステーキを食べた事が無い」そうで、そう云えばそうだった。

ステーキ屋さんに行こうかとも考えたが、娘は私に似たのか、外食は緊張するから、家で食べたいって云うので、近所の肉屋でステーキ肉を買って、食べる事にしました。

妻が、馴染みの肉屋でステーキ肉を買って来ましたが、見ると厚みが1センチくらいです。ステーキ用の上等品ではあるそうだし、実際美味しかったけれど、何て云うか、ステーキってのは、レンガみたいな厚みのある物かと、思ってたので、拍子抜けしてしまった。

娘は、有難い事に、そういう事を知らないので、大変満足したようだ。実際、味は良かったし。ただ、これはステーキじゃあ、ないなぁって、モヤモヤ感は残ったので、今度は安くて分厚いのを、買って貰う事にしました。

娘には、毎月の小遣いは有りません。それで不満な顔をするかと云えば、した事が無いです。時々、食べたい物のリクエストに応えてやると、それでかなり満足するようで、親としては有難い。もっとも、ピアノや絵画の習い事で、親に余分なお金を使わせてるなんて、自覚が多少有るようで、その為かもしれない。

世の中、不真面目なほうが、楽だし、絶対得だから、そうしたければそうしていいよって、昔から何度も真面目に力説し、言い聞かせて来ましたが、そういうのが逆効果になって、真面目に育ってくれてるのかも、しれない。

世界は、矛盾と不正義に満ち満ちてる事ぐらい、子供は知ってるので、あまり建前で子供を教育すると、信用を無くすようにも思うのですが、どうでしょうか。

2010年12月19日日曜日

夜間ノ通行モ快適ナリ

 今日はお休みを頂きました。ので、家族で美術館に行きました。途中の堀端で立ち止まって、母と娘は何を見てるのでせうか。
 鳩が、お堀に住む白鳥の餌箱から、白鳥の食べ残しを盗み食いしてます。そのおこぼれを、下で鯉が狙ってます。お堀の主のような、大きな鯉がジャボンと水音を立てたとたん、鳩は二羽とも飛んでいってしまいました。
 美術館に行ったのは、シカン展が目的でした。娘のかねてからの希望で、観に行ったのですが、見終わって図録を買うかと聞くと、要らないと云う。観に行きたい程、好きだったのじゃないのかと、尋ねたら、ミイラが見たかったそうな。

シカンの遺跡からは、骨は出ましたが、ミイラは無く、展示されてた骨もレプリカで、それでガッカリだったそうな。「骨じゃ駄目なのか?」「興味無い」「腐乱したのは?」「イヤ」「動物のミイラは?」「どうでもいい」「人間がいいのか?」「うん」「じゃあ、生きていないが骨でも無い、生と死の中間に留まってる人間、が良いんだな?」「うん」・・・だそうです。乙女心の機微こそ微妙でございます。
お昼にソバを食べ、松山市で一番高級なデパートの、三越に寄って「天然もずく」を3パック買って、帰る母と娘。娘のバックには、シカン展の売店で買った、「世界遺産写真集」が入ってます。
美術館のある「城山公園」は昔、日本陸軍歩兵第22連隊の駐屯地でございました。この場所で、ほんの半世紀ちょっと前まで、軍隊ラッパが鳴り響いてたのですね。丁度、ドラマ「坂の上の雲」で湧く、松山市ですが、日露戦争でも此処から多くの兵士が出兵して、帰って来ませんでした。合掌。

ヤマドリ警備隊は、松山城の夜間偵察を実施致しました。隠密行動のため、照明の無い、西口登山道の裏道を使って、山頂を目指しました。真っ暗な山中では寄り添って、明かりに照らされた山頂広場でも、成るべく影の場所を選んで、交互前進にて移動しながら、異常の有無を偵察します。

途中隊員Aが、対人センサー付きの監視カメラの照明に照らされたり、アベックを装う監視員を発見したり、獰猛な2匹の警備犬を連れた巡回警備員と遭遇したり、しましたが、無事任務を果たして下山致しました。

松山城東口登山道は、途中、崖崩れのため、通行止めになっている事が、偵察の結果明らかになりました。ただし、迂回路が北側斜面に開設されてますが、道が細くて傾斜が急な階段もあり、大部隊の移動には甚だ不適応な通路であれば、各級指揮官ハ部隊行動計画ノ際、コノ点注意ヲ要ス。

コノ迂回路ニハ、道中ノ立木ニ蛍光灯ガ、便宜的工事ニテ数多ク設置サレテヲリ、コレガ為、夜間ノ通行モ快適ナリ。

以上、ヤマドリ警備隊の偵察報告でした。城山観光の予定の方々は、お気を付け下さいませ。

2010年12月18日土曜日

私の心の中の、ミャオ族

いよいよ、最後のご紹介でございます。私も疲れてまいりました。先ずはお馴染み、ミャオ族の上下。
 襟の形が、如何にも中国的ですね。清朝時代の民衆の衣装を彷彿させますが。生地はかなり薄く、どちらかというと、平地、街住みの地方の衣装かもしれません。
 襟は数カ所でトンボで止めます(写真では安全ピンですが)。この生地も卵白の艶が見られます。
 薄い生地ながら、プリーツの沢山付いてるのが、ミャオらしいです。刺繍は無く、あっさりしてますけれど、落ち着いた黒が素晴らしい。
 一変して、ゴワゴワキラキラの、貴州省剣河県のミャオ族の衣装。重いです。ミャオ族の衣装の真骨頂は、刺繍ともう一つ、このように、きらびやかな銀飾りにあります。
 背中はもっと、キラキラです。左に有る、鎖の付いたプレートみたいな物は、首から下げる胸飾り、右のキラキラは銀の頭飾りです。とはいっても、これらは純粋な銀では無いようです。

祭りでは、この衣装を着た女の子達が、輪になって踊りますが、この重たい衣装を着けて踊る訳ですから、飛んだり跳ねたりは、しません。身体を上下に揺すって、衣装に付いた鈴や銀飾りをシャンシャン鳴らして、歌を歌うようです。

漫画やアニメーション的には、この衣装を着けた可愛い女の子が、飛んだり跳ねたりが欲しい所でしょうが、それはムリでございます。
 銀飾りのアップ。花鳥風月のデザインが、粗く打ち抜かれていて、力強くも風情がある。
刺繍も当然、細かいです。左端に蝶々の刺繍が見えますが、ミャオ族の信仰と蝶々のモチーフは、深い繋がりが有るようです。
これは飾りスカート。これの下にも、黒のスカートを履いている、筈です。すだれのような形態の、このスカートはミャオ族衣装の特徴の一つです。
最後は、雲南省のイ族の衣装。写真では上着と頭飾り、帯などをまとめてあります。パーツが沢山ある衣装です。下はズボンを履きます。着付けの仕方は、一通り説明受けたんですが、もう解らなくなってしまった(笑)。

数年かけて、こういう物を集めましたが、こうやって、衣装を買うばかりの自分に、疑問も募ってまいります。集めてばかりではきりがなく、自分には何ら成長がありませんし。むしろ、自分は作る側を目指さないと、いけなかったのではないか、と思いました。

そういう想いが、今の絵本玩具の研究や、作家になろうと思った気持ちに、繋がってます。

ミャオ族の村など、今では観光地化されている所も多いようで、比較的気軽に赴けるようですね。ただ、そういう所では、本来の民俗文化を眼にする事は出来ないのでしょうし、生の暮らしを、直に見たい想いもありますが、他人様の暮らしをただ観に行って、どうするんだって、想いもある。

素晴らしい民俗文化を持つ村が、中国の奥地の何処かにある、と知っただけで、もう良いような気がする。ただ、中国の奥地であっても、近代文明の流入は止められませんから、民族文化の質は、急激に変化し続ける事でしょうね。それは覚悟しておかないと。

私の中の理想は、白黒写真で見る、ミャオ族の古い時代の人々の姿にこそ、見られます。昔の山での暮らしは、今の私が想像する以上に過酷ではあるのでしょうが、それ故に、ただ一日を生きる事自体に、充分な生き甲斐を見出せる気もしますし、何より、身に着けた藍染めの衣装の存在感が、一人の人間の存在そのものを、可視的に体現しているようで、人生と文化が一体になった充実感を、思わせてくれる。

もちろん、勝手な感想ではあるけれど、例えば、昔、苦しい想いをしながらも、毎日が充実してた自衛隊時代の作業服(戦闘服)は、今の暮らしに着用しても、完全に周囲から浮いた存在になるように、服飾と暮らしは本来、密に繋がった物でもある。

素晴らしい衣装と、それを支える民俗文化は、その対価を着用する者に強要するけれど、それを是として受け入れても尚、その世界で満足して生きて生けられるような、力が有るように、思う。

今の私の暮らしには、それほどの魅力や価値のある文化を、感じる事が有りません。日本の伝統も文化も信仰も、時代の都合に合わせて姿を変えたり、生み出されたりしたものが、圧倒的に多いように思うけれど、それはまた、仕方の無い事でもある。

極端な話し、封建的な時代や地域ほど、服飾文化などの伝統文化は、重厚さと深みを増すと思う。個人の自由を謳える時代はもう、それらを所望するのはワガママかもしれない。

自分の足下の文化の軽さに、不安になりながらも、自分なりの価値観をよすがに、毎日の暮らしの意義を、感じ取らねばなりません。・・・という事で、民族衣装はおしまい!

民族衣装は背中で語る

今回ともう一回、衣装の記事を続けます。

ところで、こういった衣装は、今やネットで専門のショップを検索すれば、ポチっと一押しで購入する事が出来ます。値段も、私が横浜のショップまで出掛けてた頃に比べれば、旅費を引いても、相当安いです。当時(15年くらい前)は、こういった衣装が市場に出始めたばかりで、市場に出回る絶対数が少なかったせいも、あったでしょう。

民族衣装の価格は、作品としての価値というより、需要に相応した価格なのでしょう。これが日本人の作家物なら、数十万円しても全く、可笑しく無い世界ですが、現在のショップでは、ほぼ、古着扱いで数万円です。良い事かどうか、私には解りませんが、ちょっと淋しい。(相当悔しい)

あんまり、簡単に安く購入出来るので、もう集めるのは止めました。きりがありません。それに、収納する場所もありません。とは云え、良い物を見ると、胸が熱くなって、切なくなります。民族衣装に溺れてみたい(笑)。

以下、写真は全てミャオ族の衣装の背中と刺繍のアップ。

可愛い系の刺繍デザイン。色使いも見事です。 ミャオ族と一口に云っても、その衣装の種類が幾つに分類されるのか、解りません。
 こちらは、ググッとシックなデザイン。刺繍が細かすぎて、良く解りませんね。
 刺繍の錦糸に銀を巻いています。凄く細かな作業です。


 この衣装と模様のデザインは、とても個性的ですね。たぶん、古い時代の仕立てのスタイルだろうと思いますが、良くは解りません。アイヌのような文様です。生地のテカテカは、卵の卵白を塗っているそうです。艶と同時に、撥水効果が得られるそうな。
もう、説明も疲れました・・・。次回はいよいよ最終回。民族衣装への想いを、語ります!

2010年12月16日木曜日

ヤオ族のモンペ

今日の衣装は、広西省のヤオ族の上着。持ってませんが、下は黒のスカートに上着の腰当たりで、幅広の布帯を巻き付けます。これがヤオ族の代表的な衣装という訳ではなく、ヤオ族もまた、地域によって多様なデザインがあります。

その中で共通してるのは、黒い生地を好む事、刺繍の技法にクロスステッチを多用する事、などです。クロスステッチで構成された刺繍は、柄が違っても、ヤオの風合いを感じさせてくれます。
 上着の背中の刺繍。ウルトラセブンのような襟のデザインが特徴的。裾の部分には、細かな金物を縫い付けてます。左端の刺繍の切れ目に、化繊のプリント生地を無造作に、貼り付けてるあたりが、大らかです。西陣織の着物の襟に、Tシャツの切れ端を貼付けるような、感覚でしょうか。自分で刺繍して、自分で着るからこその、大らかさですね。
 背中の刺繍のアップ。この柄は、何でしょうね。馬のような4本足に、翼もあって、もしやペガサス?
 生地の裏側。裏地が無く、刺繍の裏側が見れます。詳しい方は、これで技法が推測出来るんじゃあ、ないでしょうか。
 こちらは、タイの山岳地に移住したヤオ族の衣装。タイのヤオ族は今や、タイを代表する少数民族で、テレビ番組でも度々紹介されてます。タイを旅行された方など、ご覧になった事もあるのではないでしょうか。

襟飾りの、赤いボンボンが何とも派手ですが、黒を基調としてるところなど、中国のヤオ族の面影が残ってます。中国では生地は木綿が中心ですが、タイではこのように、化繊が中心です。
 タイのヤオ族のパンツ。通称「ヤオパン」。この刺繍の柄は、中国、タイ共に共通しています。中国ではこの刺繍を、上着の襟に縫い付けてますが、タイではこのように、ズボンに縫い付けてます。上着とズボンの違いはあっても、時と場所を超えて、同じ民族としてのアイデンティティを、この刺繍によって受け継いでるのが、凄いです。
 ズボンの刺繍のアップ。全てクロスステッチで構成されてます。ピンクに見える糸は、赤い糸の染料が、白糸に色移りしたもの。こういう所は、無頓着のようですが、辺境の山奥に住んでるのですから、糸を選べないなら、仕方ないかもしれません。
先のミャオの衣装も、色とりどりの古い刺繍の上から、藍色で染め直して、全面グレーにしてたりします。
さて、こちらは何族?・・・ヤマト族でしょうか。日本の民族衣装、モンペです。紐締めで袴式の古風なモンペ。今時、中々ありません。私もこの古着一つしか、持ってません。

実は、ちょっと恥ずかしいですが、大分前にモンペの収集を試みた事が、あります。で、一人で「モンペの会」なんて作って、自分で自分用のモンペと野良着作って、東京は池袋を歩いた事も、ありました。もう、今は絶対出来ませんが、その時はモンペに憑かれてたようです。

ところで、モンペのルーツの一つに、山の民俗の山袴が考えられますが、ズボン状の股の所に、大きなマチを付けるのが、山の仕事着の特徴ですが、これは中国やタイ、東南アジア全般の山岳民族の衣装に、共通してみられる仕立てです。面白いですね。マチの布の面積は、南に行く程、やたらと大きくなるようです。

私が、野良着を日本の民族衣装と捉えるのは、こういう類似点で括られる、服飾文化だから、です。

・・・衣装の話し、もうちょっと、続けたいです。

藍より蒼い、ハニ族の藍色

 今日は雲南省のハニ族の衣装。これが、私が始めて買った少数民族衣装で、一番お気に入りの衣装でもある。藍染め木綿の生地の風合いや、服の形、刺繍の雰囲気など、大好きでたまりません。
 首周りの刺繍が可愛いですね。それにしても、この首周りの小さい事。二重あごなど考えられない、山の暮らしの厳しさが伺えます。
背中の刺繍が、特に素晴らしいですが、雲南省のハニ族の特徴的なデザインはむしろ、袖周りにボーダーに嵌め込んだ、白やオレンジや緑の布にあります。
藍染めの落ち着いた、重厚感のある蒼と、カラフルで可愛い、アニメキャラにも合いそうなカラーボーダー、伝統的なな職人技のような刺繍技術と、未来的でもある刺繍デザイン。私の中の理想の世界が、全て凝縮したような衣装です。こんな衣装を着た人々が、アジアに居るなんて、今でも信じられない。

この藍色と仕立ては、「もののけ姫」の主人公、アシタカが住んでた、蝦夷の村の女達の衣装を、彷彿とさせます。
まるで機械で刺繍したかのような、幾何学模様の刺繍も、ハニ族の特徴です。
 こちらは、ハニ族の女性の被り物。これをかぶったまま、農作業も家事もこなすようです。ビーズやらコインが沢山付いてて、中々重たい物です。まるで遊牧民のように、財産をコインや銀細工、ガラスビーズに換えて身に付けて、何時でも村を捨てて他所の土地に逃げられるように、しているかのようです。辛い民族の歴史が産んだ、飾りでしょうか。

ちなみに、宮崎駿氏の漫画、「風の谷のナウシカ」に出て来る蟲使い達の服装も、そういった遊牧民のスタイルが元になってるようで、服のあちこちに宝石が縫い込まれてますね。
 フランスの古いコインが、飾りに縫い付けられてます。雲南省のすぐ南は、ベトナム国境なので、フランス統治時代のベトナムから国境越えて、銀細工の素材として、持ち込まれたりしたんでしょう。
 こちらは、中国のハニ族自体が南下して、タイ国境を越えてタイの山岳部で暮らす、アカ族の衣装です。アカ族の衣装の装飾の特徴は、飾りに数珠の実を繋げてる事ですが、これはガラスビーズの代用だと思います。

出自が同じなので、雲南省のハニ族と、衣装デザインの基本は同じですが、生地の質感や染料が現代化してたり、安っぽかったりします。昔より更に過酷な環境に暮らしながら、出来る限り自分たちの民族の、伝統を受け継いだ衣装に近付けて伝承していったのでしょう。

日系移民が、現地の生地で着物を仕立てるような、感じだと思います。
これは、アカ族の子供用衣装一式。ハニ族も、アカ族も、足首に脚絆を巻くのが特徴的です。山岳民族故のスタイルですね。刺繍で一面覆われたバッグも、ハニ族、アカ族に共通です。このバックは、日本のアジア系雑貨店では、ポピュラーな商品の一つです。

せっかくなので、あと、もう少し、続きます。

2010年12月14日火曜日

世界は野良着で出来ている。

 これも貴州省で、たぶん剣河県のミャオ族の衣装。ミャオ族の上着は筒袖が基本で、時にはこのように、始めから短いか、折り返して着用してます。普段着なら、労働の邪魔になるので袖をまくるのは、解りますが、お祭りの晴れ着でも、敢えて袖を大きくまくっていたりする。

そんなにまくると、せっかくの刺繍が隠れてしまう、なんて部外者の私は思うのですが、そういう着こなしの作法なんでしょうね。袖をまくるのは、つまり、働き者ですよって、自己アピールかもしれません。もちろん、長い袖の衣装の地域もあります。
肩と 袖の刺繍飾り。袖は始めから、折り返す物として縫製されてます。肩口と袖の縫い合わせは、些か乱暴で、脇にシワが出来てます。袖のサイズそのままに縫い合わせると、脇が窮屈なので、マチをとったのでしょう。

これに限らず、比較的古い縫製の衣装の大半は、首周りや肩幅、袖まわりなど、どれも大変小さく作られてます。小さなお婆ちゃんでないと、着られないのでは無いかって、思うんですが、昔の日本人も小さかった事を思えば、それが山に暮らす人のサイズの、アジア標準なのかもしれません。
肩の所の刺繍。凄いですね。糸は多くが錦糸です。刀の刃が通らないくらいに、緻密に刺繍して鎧の代わりに着て戦った、なんて話しも聞きましたが、本当かどうか。しかし、それくらい緻密な物もあります。
後ろから見た所。前の裾が特に長いのは、前掛けを付けるためです。前掛けの紐が、帯代わりになるんですね。これは普段着、野良着なんでしょうから、背負子を背負ったり、赤ん坊を背負ったりしたでしょうから、背中には刺繍がありません。
この衣装が、ちょっと変わってるのは、この生地に付いた赤い色素です。何なのか、解りませんが、触った感じ、赤く細かな土のような、錆のような、何となく粉っぽい感じがします。とにかく、ワイルドな染めです!
おや?こちらは、上と同じような織の紋が入った生地ですね。そっくりじゃないですか?一体何の生地でしょう?
これは、日本の野良着です。カオナシならぬ、袖無し。おじいさんか、お婆さんが冬の野良仕事で着ていた物でしょうか。藍染め木綿の素朴な野良着です。
日本の野良着には、奇麗な糸の奇麗な柄の刺繍はありません。その代わり、生地を強くする刺し子の技法が広まりました。柄こそありませんが、これもまた細かな仕事です。
破れた所は端切れを継ぎ当てて、上から刺し子で補強してます。これが結果的に野良着の味になるのですが、元の持ち主からすれば、こんな所の写真を撮らないでくれって、心持ちでしょうね。(申し訳有りません、持ち主様。)

今は、アメリカの野良着、ジーンズをわざと裂いて履くのが、オシャレですけれど、それとこれとはまた、次元の違う世界だと思います。

2010年12月13日月曜日

ミャオの龍

ここぞとばかりに、もう少し続きます、民族衣装。
 これはおそらく、貴州省の凱里県のミャオ族の衣装。刺繍の柄と技法などから、文献の写真と照らし合わせて判断。刺繍が付いている他は、きらびやかさが無いので、普段着だと思います。

これが普段着とな!と、思われる方もいらっしゃるでしょうが、そうなんです。普段着です。これで農作業から家事から育児まで、こなしていらっしゃるようです。

とは云え、今はどこも、かなり文明化が進んでいて、多くの地域では、刺繍でなく、化繊のプリントが使われてたりもします。刺繍であっても、簡易な図案になってたり、刺繍をする女の子自体も、激減してるようです。電気が入ると、良くも悪くも、暮らしの様相が変わるのは何処も同じです。
 普段着の後ろ姿。普段は、ズボンを履いている地域も多いようですが、スカートのままの地域もあるようで、詳しい事は解りませんが、山岳地ほど、スカートが多いような「気が」します。もっとも、山を降りて街に買い物に行くと、街の男の子に、短いスカートをからかわれて、恥ずかしいなんて、記事も読んだ事もあり、文明化だけでなく、いろんな事情でスカートは廃れていくと思います。
普段着の裏地。木綿に藍染めの生地で、これといって、どうって事ないですが、どうって事ない事が、驚きです。
どうって事ない日本の、木綿に藍染めの、野良着。まぁなんと、派手好きな兄と、地味で真面目な弟みたいな(笑)間柄では、ありませんか。藍染めの服飾文化と云う点では、非常に親近感が湧きますね。 

仕立て方は、日本の野良着のほうが、反物の幅なりの、杓子定規な仕立てなので、きっちり畳めるのに比べ、ミャオの衣装は、分厚い刺繍が付く分、ややワイルドさがあって、きっちり畳めません。
 襟の部分の刺繍。こういう刺繍は後付けなので、パーツ毎に取り外せるようになってます。服の生地が傷めば、新しく作って、刺繍だけお引っ越し、という寸法です。
 袖の刺繍のアップ。ニワトリでしょうかね。このシボシボが付いて、浮かんで見える刺繍の技法が特徴的です。名前の付いた技法ですが、詳しい事は省略!(私も良く解らん)
 ミャオの龍には、歯がありません。刺繍だから、無いんでしょうが、それが逆に好きだったりする。

こういうデザインの民族衣装は、中国の少数民族に限らず、ロシアの北方や、北欧などにも存在します。刺繍という事では、背中(肩)と袖に柄が集中する共通点は、袖を持つ衣装なら、自然の成り行きではあるけれど、何処か起源となる文明でもあるような、気を起こさせます。

もし、有るとすれば、マケドニアのアレクサンダー大王が運んだ、地中海地方の文明だったかも、しれませんね。