2010年9月29日水曜日

耳元で唸る死神の鎌

この数日間、玩具製作からやや、脱線して、機械工作に熱中してしまいました。本当は、あと数種類作らないとイケナイんですが、気分転換って事で、お許し下さい。

作ってた機械はコレです。
溝切りカッターテーブルです。ハードメイプルに、黒檀やカリンの板を埋め込む溝を掘る、機械です。トリマー/ルーターテーブルでも出来ますが、硬い広葉樹での作業は負荷が大き過ぎると、感じましたので、その下削り作業を、溝切りカッターで行う算段です。

本格的な、大きなテーブルソウなら、溝切り用のカッターを取り付けられますが、私の持ってるテーブルソウでは出来ませんし、扱う部材が小さい物が多いので、こういうコンパクトな物のほうが、都合がいいです。
動力は、マキタの小型溝切りカッタ。刃物は15ミリ幅まで削れる自在カッタを付けてます。
振り子の原理で、チップソウを振らして削るので、底面はやや、丸くなるのが残念ですね。なので、トリマーで仕上げが必要です。

或は、仕上げカッタを使ってもいいですが、実際に装着してまわしてみると、音と様子が恐ろしくて、使う気になれませんでした。10ミリ以下なら何とか、我慢出来るかなぁ。15ミリは駄目ですね。死神の振り回す大鎌が、耳元でブーンと唸ってるような、音です。
15ミリ幅の刃口。自在カッタでも、15ミリで回すと、中々恐ろしいものです。振動もかなり発生し、音も大きいですから、本来なら大型で重量のある構造が、望ましいですね。

私の作業場では、このサイズが精一杯です。最初の写真で写ってますが、せめて重量出すのにと、ブロックを置いてます。テーブル裏には、防振用の鉛テープも貼りましたが、これは気休め程度でしょうか。

しかし、振動と騒音を軽減するのは、作業のストレス軽減に大きな効果があり、結果、作業効率が上がりますから、何でもやっておいたほうが、いいです。

まだフェンスは出来てませんが、仮のフェンスをクランプ止めして、試し削りしたところ、音はともかく、切削抵抗がほとんど感じられないまま、溝が掘れました。これは、トリマー/ルーターテーブルでの作業では味わえなかった、感覚です。

それだけでも、この種の機械の存在価値があると、感じました。

2010年9月28日火曜日

クマザサ服飾考

別に、今の外交問題にリンクさせるつもりでは、ありませんが、私が体験した自衛隊の、ゆるい話題を一席。
今から20年近く前の写真。埼玉県は朝霞の駐屯地での、観閲式典参加中のショット。上空に空挺隊員の自由降下中の姿が見えます。

今はもう、ほとんど見られない、旧タイプの迷彩作業服。戦闘服ではありませんよ、作業服ですよ。通称「クマザサ迷彩」と云われたくらいですから、クマザサの生い茂った環境での活動を前提に、デザインされたんです。つまり、北海道ですね。

これを、南北に長い日本の、全ての自衛官が着たんです。なので、南の部隊が、ご当地の山中で演習をする と、クマザサの無い環境では、大変良く目立ちました。(泣)

それでも皆が着たのは、有事の想定地域が、北海道に限られていた、時代だったからですね。南の部隊も、何年かに一度は必ず、北海道まで移動して、訓練を行ってました。
これは、先の写真の前日、予行演習の時の写真。同じ人物を撮ってますが、この日に着ているのは、ただの作業服。何故、予行演習でも迷彩服を着ないかと云えば、迷彩服の官品が1着しか、支給されないからです。公の行事には、官品の迷彩服でないと、いけません。

で、これを数日前から、アイロンかけて、形を整えてるもんだから、当日以外に着る訳にはいかないって、事ですね。対して、ヘルメットカバーは、すぐシワになるって物でもないので、付けたままなんです。

じゃあ、私物の迷彩服、作業服って、どう違うの?って、事ですが、私物の作業服は、駐屯地内の売店で、各個に購入しますが、民生品なので、官品とは少し、生地やら色身、作りが違うんです。普段の作業は私物を着て、官品は成る可く着ないようにするってのが、ベテラン自衛官の悲しい心掛けって、もんです。
これは、松山市の駐屯地祭でのショット。15年くらい前かな。まだまだ、地方の部隊では依然として、クマザサ迷彩でした。蒼々とした芝に対して、クマザサな柄がとても目立って、私はここに居るよと、自己主張してます。

ベルトやサスペンダーは、木綿の織布。ケース類は帆布に防水のゴム引きした物を、使ってました。トラックの荷台カバーみたいなやつですね。個人的には好きな素材です。

ヘルメットの網に結わえてある偽装は、古い落下傘の布を裂いたもので、リサイクル好きな自衛隊ならではの、発想です。

この当時の作業服の、最大の欠点は、上着の裾を、ズボンの中にたくし込んでいた事で、これは自衛隊誕生当時の、アメリカ陸軍のスタイルに倣った物だと、思うのですが、これで匍匐前進をすると、たちどころにズボンがずり下がり、泥がパンツの中に入り、まるで赤ちゃんのオムツ状態に、なる事でした。

最初の写真でも、すでにやや、ズボンが下がって、オムツに近い姿ですが、これがもっとひどくなります。そんな姿で、自衛隊は数十年間、自分のお尻の様子を気にしながら、訓練を重ねてきたわけで、何よりも極秘事項だったかも、しれない。

そこから、逆に考えてみれば、アメリカ兵は「匍匐前進をしないのではないか?」なんて勘ぐりも出て来ますね。そう云えば、戦史や写真や映像の記憶の中で、アメリカ兵が匍匐前進を続けながら、ジリジリと身体一つで、敵の火点に肉薄する、なんてイメージは、浮かんできません。

今の迷彩服は、裾がズボンの上にくるように、なりましたから、お尻の心配はいりません。格好ってのは、そう云う意味でも、重要なんですね。

2010年9月21日火曜日

パッド付き

たぶん、10年以上前から、陸自の個人装具が、盛んにモデルチェンジされてきてますが、背嚢だのサスペンダーだの、銃の負い紐に至るまで、色んな装具にスポンジパッドが付くように、なりました。

陸自は米軍の装備の影響受け易いので、その為かもしれませんが、これが私には、有り難迷惑な配慮でした。アメリカ人のような大柄な人には、良いかもしれませんが、細身な私には、身体中に座布団くっ付けてるみたいで、うっとおしいったら、ありゃしない。

それで、サスペンダーの肩の所に、分厚いパッドが付いてるもんだから、銃を肩付けに構えると、パッドが邪魔して、しっかり固定出来なかったりする。なので、射撃検定の時は、パッドをわざわざずらして、肩付けに構えないといけない。

じゃあ、戦闘の時は、どうすりゃいいんだろ。パッドの位置が気になって、戦闘どころではないけれど、もう私にはその心配は、要らなくなったから、どうでもいいか。

これがまた、民間のバックパックにも飛び火して、どれもコレも、肩やら腰やらが、モコモコしててうっとおしい。何でもかんでも、パッドを付ければ良いってものでは、ありません!
・・・と、云いながら、私は機械に、スポンジパッドを付けてしまいました。手前のと、奥の緑の機械の角に付いてるのが、それです。
ここに、自分のオデコを当てて、やや体重かけて使います。そうすると、首や肩が楽ですし、加工材に対して楽に、眼を近づけたまま、作業が出来るんです。もはや人馬一体ならぬ、人機一体ですね。

構造が共産圏の戦車帽のパッドみたいです。すぐ兵器の話題になって申し訳ないですが。

戦車の中は狭く、おまけに金属部品で一杯なので、戦車帽のクッションは無くてはならないのですが、あれはもう一つ、理由があって、車内はエンジン騒音でウルサイので、車長からドライバーへの指示(指導)は、頭部への蹴りで代用される事が多いそうな。(本当)

なので、車長の蹴りから、ドライバーの頭部を保護する為の、クッションですが、西側諸国の戦車帽が硬質なプラスチックが使われてたのに対して、東側の戦車帽がクッション付の革製が多いのは、西側の戦車長の靴のほうが丈夫だったから・・・なんて話しは、ウソです。

2010年9月16日木曜日

テーパーテーブル

上のイラストは、ベルトサンダーで垂直に材を研削する時、削り終わりの部分ほど、研削カスが邪魔をして、垂直に材を削れない、の図です。極端に描いてますが、こんな感じだと思いますんです。
それで、テーブルを僅かに、斜めにしてやれば、真っすぐ削れるんではないかと、思います。
或は、更にテーブルを傾けて、材に逆のテーパーをかけて、コルク栓のようにすれば、埋め込み易く、密着し易かろうと、考えましたが、こんな事は当たり前でした。始めから考慮に入れてない私が、イケマセンでした。
なので、早速こんな治具を作りました。名付けてテーパーテーブル。テーパーテーブルの下は、テーパーの付いた下駄を付けてますので、手前に向かって、僅かに傾いているんです。角度は2〜3度くらいでしょうか。

右端に付いてる黒いのは、作業する右手の滑り止めです。ちょっと、テーブルが小さくて、載せる右手が滑ってしまうので、こんな物も付けました。
こんな感じで、少し傾いてます。これでケヒキ線に沿って円形を研削成型してみると、同径の穴に、軽くピッタリ収まりました。良かった良かった。

もうこれで、怖い物は、無いぞ。

2010年9月12日日曜日

大人の値段

電車の製作途中。これは販売用です。幾らで売ろうか、悩むところです。

ちゃんとした店舗で、委託販売するわけですから、値段もそれ相応に、大人な世界で付けねばなりません。そうなると、この電車など、1万円前後は必至です。

しかし、このご時世に、木の玩具に1万円も出すお客様が、一体何人いらっしゃるやら。
それでも、値段を安く設定してみても、所詮安っぽい物しか作れません。薄利多売出来る商品だけなら、私がわざわざ自分の人生削って、作るまでもない。

この世界でいつか、独立したいなんて、密かに夢も持つ身であれば、値段で妥協や遠慮する事は、許されない気もしてくる。

ならば、1万円相応の価値のある、作品を作れば、1万円の値をつけても、いいではないか、という考えに落ち着いてきてます。
そうは云っても、手間と時間ばかりかけて、作ってる訳にもいきません。今はまだ、恥ずかしながら、妥協も多い私です。たとえばこの、角材の埋め込み。トリマーで彫り込んだ溝のサイズとは幾分小さく、隙間の多い結果になりました。

1万円の作品なら、こんな所も隙間なく、ピシッと決めたいんですが、逆に僅かでも角材が大き過ぎた場合、貼り合わせの材が密着せず、作品全部、丸々駄目になってしまう所が、怖い訳ですね。

そう云う所の工夫とか、辻褄合わの技術なんかが、まだ未熟だなぁって、思うんです。
そういう部分は、沢山あります。あるからこそ、楽しいし、可能性も開けるんですが。

1万円の技術が手に入ったら、その次は、1万5千円だぁ。

2010年9月7日火曜日

4倍のユウウツ

車10台分、つまり、40個のタイヤです。当然ながら、台数の4倍必要ですね。20台なら80個、50台なら200個・・・。今は、1個あたり3分はかかりますから、50台、200個作るなら、600分で10時間かぁ・・・ああ、しんどい。

写真のは、直径が38ミリ。右の20個の集まりは、120番手で縦に研削成型したもの、右の20個は、240番手で横に仕上げ研磨したもの。

ここで云う「研削」は、ベルト式のサンドペーパーで削って、ケガキ線に沿った形を作り出す作業、「研磨」は、研削で荒れた材の面を、大きな番手で整えて、研削痕を消してやる事、を意味します。

直径38ミリの円形なら、直径38.5ミリくらいで研削成型して、残りの0.5ミリを仕上げ研磨で落とします。「研削」と「研磨」の、正しい使い分けも有るかもしれませんが、私は勝手にそう、使い分けてます。

・・・どうでも良い事でした!

明日は忙しいです、本業で。今日は早く寝ます。

2010年9月4日土曜日

卓上手押しルーター盤は、嬉しい

卓上手押しルーター盤です。造語です。要は、ルーターテーブルですが、材の直角出しに特化してます。始めは、サイズがもっと大きかったのですが、自動カンナ盤買って、置く場所が無くなったので、高さと奥行きを、スッパリと半分にカットして、卓上型になりました。
刃のカバーを外した所。テーブルに乗ってるMDFの木口を、向かって右側の部分だけ、0.3ミリくらい削ってます。手押しカンナ盤の、テーブルとフェンスが逆転してると、思って下さい。刃は、12ミリ径のスパイラルカッターです。
この機械の特徴は、何と云っても、こんな小さな材の直角出しが出来る所です。手押しカンナ盤ではちょっと無理です、ウフフ。普通のルーターテーブルでも、あまり小さいもの相手だと、フェンスの調整が難しいんじゃないかな?

それに、調整が上手く出来れば、鼻落ちもしません。きっちり端から端まで、真っすぐ直角が出ますんです。

なので、ほら、両端整えた黒檀の板材を合わせると、隙間なく、奇麗に1枚板に見えます。

こ〜んな小さい材だって、送りの治具を使えば、簡単に直角平面が出せるんです。こういうのって、凄く嬉しいです。

追記:このスパイラルカッターは、アップカットなので、材はテーブルに吸い付けられる感じになって、跳ね飛んだりはしません。

2010年9月3日金曜日

焦点は合わせず

これは先日、ドラムサンダーと自動カンナ盤と手押しルーターで、ブラックチェリーの荒材を製材した時の写真。玩具作り用なので、ミリミリと平面や直角の精度を気にしなくても良いのですが、精度は出てたほうが気持ちがいい。

手押しカンナが無くても、何とかなってます、の、写真でした。

今日は更に、目玉のパーツを60個、切って、削って作りました。写真はバンドソウで切断中の所。ケガキ線に近い所で、如何に早く円形に切断するか、腕の磨き所です。

ケガキ線を気にしすぎると、切断速度が落ちますので、眼は向けるが焦点は合わせずって感じで、材を送りますね。

一番疲れる作業の、削り出しです。写真は途中のところ。ベルトサンダーで、ケガキ線消すように、削ります。これは照明をしっかり当てて、成るべく顔を材に近づけるような、体勢をとってやります。作業中の身体の姿勢と作業効率の関係は、深い物があると思ってます。
面倒でも最初から、一番楽で効率的で安全な作業体勢の準備をして、実行するのが結果的に、後が楽ですね。

何しろ、円形パーツの大量生産は、避けて通れませんので、これの作業の効率化が生命線です。システムの工夫と同時に、身体の使い方の工夫や研究も取り入れないと、名人達人な世界は手に入りませんし、そう云う所が、実際に物を作る醍醐味でもあると、思う。