2012年4月30日月曜日

木工と重機関銃

 単純な構造で、何かと重宝する道具を持てる喜びを味わえる、この機械。角ノミ機の取り外したモーター使って、作りました。と云っても、モーターを台に固定しただけ。

モーターに始めから付いてるチャックには、軸付きドラムサンダーを噛ませて、横軸のドラムにする。モーターの回転数そのままの回転速度なので、ドラムの径が小さいと作業効率が悪い。

だからこれは、ドラム径の大きめ(75ミリ前後)のサイズ専用で使う。ドラムには、戸当たりテープのクッション材が貼り付けてあるので、研磨面はやや平面となって、ドラムのマークが付き難くなってる。

或は、面取りした後の材の仕上げ研磨にも、有効に使える。
 作業し易いように、軸をやや上方にあげて固定している。この姿はまるで噴進砲か擲弾発射機のようだ。

大きな車輪の付いた野戦砲などは、威力も精度も良いが、運用にとても手間と時間が掛かる。専門の部隊要員や段列も必要だ。なので、肝心な時に、痒い所に手が届かない。

対して、人間が一人で運べる小型の砲、例えば軽迫撃砲や敵弾筒、バズーカなどは、近々の危機に対して、素早く有効に火力制圧出来て、現場では何より頼もしい味方であったろう。

職人が、目の前の自分の便利な道具を信頼し、道具を基準とした製品造りに情熱を傾けるのは良く解る気がする。で、それはたぶん、中国大陸の日本陸軍もそうだったのだろうなんて事を、思ったのだ。

もともと、国力からして、大火力の支援部隊など持てなかったせいもあるけれど、機械より手鉋でシャ〜ってやるのが、日本人の職人気質にあってるように、大火力の機械化部隊より、小型の武器を使った職人技で戦闘を行うのが、日本の兵隊気質に合ってたのだろうなんて思う。
こんな風に、手で材を送って使う。道具や機械を作る時は、予め必要とされる作業内容が設定されてないと作れない。逆に云えば道具の形状が、作業内容や思惑を物語る訳だ。

日本陸軍は、弾丸を面にばらまく用途の重機関銃に、精密な照準眼鏡を取り付けたが、そんな事をしたのは世界中で日本陸軍くらいな物だったらしい。

何故そんな必要があったかと云えば、中国大陸やロシア国境での戦闘で、トーチカの銃眼に正確に弾丸を撃ち込む目的を、陸軍が要求したからだろう。

だから敢えて発射速度を落とし、命中精度を上げて、トーチカの銃眼に撃ち込める命中精度を、重機関銃に求めてそれを開発した。

お陰で戦場で兵隊は、中国軍の水冷式マキシム機関銃から、途切れる事なく大量にばら撒かれる弾丸に苦戦したが、味方の機銃はテケテケ撃っちゃあ、銃身を冷やす為にしょっちゅう休まないといけなかった。

機関銃に限らず、陸軍の要求した兵器の性能は、大陸での陣地攻撃に特化された性能であったと云える。戦車もそう、大砲もそう、小銃もそう、部隊運用と訓練内容も、そう。

ところが、蓋を開けてみたら、ロシア、アメリカ、そして後半は中国も、大火力の機動戦だった、という事だ。手鉋で薄く美しく削り出す技も、機械相手の市場競争には大きく苦戦してしまった。

・・・で、何が云いたいかと云えば、こんな手製の機械で喜んでいる自分が、木の玩具で独立しようなんて夢を描くのは、中国のトーチカ潰しの戦闘に明け暮れてた日本陸軍が、アメリカ相手に戦いを挑むのと同じ次元の話ではないか、なんて、ふと、心配になったのだけど、それでも挑んでみたいと思うのも、私はやっぱり陸軍タイプなのかなぁ、なんてしみじみ思うので・・・あった。

2012年4月20日金曜日

色と木の玩具考

 ん、できた。
 ・・・ん。
・・・うん。
木の製品は、基本的に経年変化が激しい。何故、美しい木肌に色なんて塗るのか!って聞かれれば、塗らないと(ひとりでに)汚くなるからだ、と答えるのが良いかもしれない。

汚くなるは、言い過ぎかもしれないが、それくらい云わないと、おそらく理解し難い。

植物油で仕上げても、時間と共に油焼けをおこして、木肌は激しく黄変する。

白木なら、触った手の汗や汚れが浮かんできたりするし、ハエの糞の汚れなどが染みて取れなかったりするし、白木自身のアクが浮かんできて、赤黒く変色もする物もある。

木の仏像だって、昔から伝わる物は、元々色が塗られていたのが、風化して剥げてしまった物がほとんどで、むしろ始めに漆などで色塗装されてたお陰で、今に作品が残ってる訳だ。

白木の美しさを存分に五感で味わえるのは、残念ながら制作者側の特権であろう。作品や製品になってしまった後の白木の美は、消え行く残り香に過ぎない。

それもまた、美ではあるけれど、そんな揺らめくような価値観の商品は、特定の世界の人以外を相手には扱えない・・・つまり、普通の流通、市場には出せない。

ドイツの木製玩具が基本的に、分厚い色の塗装膜で木肌を完全に外気から遮断しているのも、白木の製品が如何に経年変化や汚れに弱いかを前提にした造り、である事の証左でもあると、推測している。

冷静に考えてみれば、完全に固形化した塗装膜の破片の一片を、幼児が飲み込んだとしても、それが健康を著しく害するとは思えない。ただ、未消化のままウンチに混ざって排泄されるのではないか?

対して、無塗装の白木の玩具の、表面に染み付いた汚れや細菌は、幼児の健康を損なわないとは云えない。なので、子供の健康の為に色を塗らない、という口上には反対しないが、納得もしてない。

じゃあ、塗装すれば問題無いかと云えば、そうでもない。塗装にも、経年変化を生じる塗装と、ほぼ変化しない塗装があり、ドイツ製の多くは、ほぼ変化しない皮膜の分厚い塗装である。

その場合は、塗装膜自体が無機質なツヤを放ち、外観だけでは素材である木の風合いなど皆無であるが、手にした時の適度な重量や質感は、木である事を感じさせてくれるし、作品に色のバリエーションを加えられる。

そして、大事に扱えば、数十年間は商品としての品質が変わる事なく保たれる。汚れも濡らした布で簡単に落とせる。これこそが、木の玩具大国である独逸の大人な答えであろう。

研究すればするほど、憎らしくも感心する、独逸の木の玩具ではある。(ただし、デザインに関しては、「先進という名の保守」的な思考に固められて、自由が無いように思う。日本のデザイン界は些か独逸製の木製玩具を誉め過ぎだ)

それに対して、私が今やっているのは、経年変化の現れる塗装法である。写真ではツヤのあるこの作品も、2〜3年も経てば黒いウォルナットの部分のツヤは半減し、色彩のツヤも減る。少し水でも被れば、ツヤも減り、ムラが出るかもしれない。汚れにも強いとは、云えない。

これらは、仕上げに塗ってるミネラルオイルの変化であるが、これを防ぐ手段を今の所知らない。不乾性オイルなので、コマメに布や手で撫でていれば、ツヤはある程度保たれるけれど、それだけ手間が必要という事だ。

変化する事を解ってて、それを商品として売って良い物かどうか、その事が今、一番頭を悩ませている。これは果たして、商品となり得るのだろうか?そんな根本の所からまた、振り出しに戻ってしまった

は、学生時代に憧れた宮崎さんの才能ほどに、魅力的な木製玩具を創作する事ができるので・・・あろうか。

2012年4月14日土曜日

半細ベルトサンダー

10年以上も 昔、始めて買ったバンドソウが、このユタカのマイティカット。妻の友人に使ってもらってたのを、また返納して頂いて、ベルトサンダーに特化して使う改造作業をしてました。

この機種は、造りは丁寧なのですが、馬力が150Wしか無いのが欠点。しかし、ベルトサンダーで使うなら、問題無かろう。
このベルト幅は約5ミリ。オリジナルのベルトを半分にカットしている。バンドソウをベルトサンダーとして使う場合、一番工夫を凝らしたいのがベルトを支えるフェンスの造りだ。

テーブルにL字金具を固定する従来の方法では、加工作業の制約が多すぎて、意外と使えない。特に、狭い場所にベルトが入っていかない。

細かく複雑な研削作業を望むなら、ベルトを細くし、それに合わせてフェンスも細く、薄く、丈夫に作らないとイケナイが、これが中々難しいのだ。
薄く細いフェンスの固定方法に、この数日試行錯誤してたのだけど、今回ようやく解決策を見出した。カギは写真の通り、磁石の利用です。

糸ノコ刃利用の薄い金属板を磁石で固定してるだけですが、これで実用上問題は無い。薄いのでたわむ心配がありますが、これも工夫次第で解決する。
この様に、材の厚みギリギリまで、フェンスを支えるアーム部分を下げてやると、フェンスがたわむことはない。

また、磁石で仮固定してるだけなので、ベルトの位置が変わった時でも、すぐにフェンスの位置変換が可能なのは、作業効率と作業精度の向上にとって、大変好ましいのだ。
このように、材の片減りもなく、ほぼ垂直に研削する事が出来る。両側はベルトがこすれて焦げ付き易いが、これは仕方ない。

それにしても、予想以上に真っすぐ快適に研削出来る。このまま、カットまで出来そうなので、やってみた。
この様に、ブラックチェリーの20ミリ厚の板が、ベルトサンダーでカット出来てしまった。150Wの馬力でこの結果は驚きです。今まで改造してきたベルトサンダーの中でも、一番の好結果が得られました。

これで、研削成型用の細ベルトサンダーは、約3ミリの極細タイプ、約5ミリの半細タイプ、約10ミリの細タイプの3種類が揃って、初期の目標を達成したのだ。

あとはまた、作品作りながら、改良改善、火の用心を、繰り返す日々が続くの・・・だった。

2012年4月9日月曜日

入学式


 入学式です。お目出度うございます・・・自分で云ってみました。仲の良い母と子。どっちの入学式でせうか。

通学路の向かい側にある、公園の桜が満開なのですが、上手く写りませんでした。
 学校に着きました。本当に、入学式です。娘は学校から近いので、徒歩通学です。

慣れない革靴に、はや靴擦れが出来て、足を引きずってますが、校内では背筋を伸ばせと、後ろから父親の喝が入ります。
 理事長ご挨拶。いよいよ、入学です。これから3年間、美術の他、色々学びます・・・ちゃんと学んでおくれよ。
 校舎の中に入りました。私が学生の頃は、女子校だった学校です。県内で唯一美術科のクラスが1クラスあります。なので、クラス替えもなく、3年間同じメンバーで進級するらしい。
 これからは義務教育ではないんですよ、学ぶ気持ちの無い人は辞めてもらいますと、シビアなお話を担任から頂いて、少し緊張気味の娘。
 帰りは仲良しの友人と一緒。両親とは少し距離を置いて帰る。娘は背が低い。妻はもっと低い。

向こうに見えるのは、松山名物チンチン電車と奥道後バスのコラボ。松山〜な風景。
何を話しているのやら。嬉しそうですね・・・いいなぁ。