2011年7月29日金曜日

何処まで行くんだい?

「ヤモリさ〜ん、電者の切符、お願いしま〜す!」「ん〜、何処まで行くんだい?」

フヂちゃんを描くにあたって、先行したストーリーは有りませんが、「日常の中に、さりげなく非日常を組み込む」という意識で、展開させてます。

絵の技術的には、その日のうちに描きあげる、という制約をかけて、技術的向上を図ってます。

2011年7月27日水曜日

電柱のある街

「ほら、正面の、停者塔の旗が揚がってる、あの家がヤモリさんち。」「フヂちゃん、電者に乗るの、始めてやったね。」「・・・うん。」緊張気味のフヂちゃん・・・その訳は?

今日の外仕事の、工事中の造成地の一角に、まだ新しい?ヤモリの死体が転がってた。何故にこのような、荒れた造成地の陽のあたる所で、ソナタは命を落としたるやと、思ってみれば、塀の上に乗って、こちらを見ているネコが一匹。

ははぁん、成る程ね。
先日、ヒロヤさんに納品しました、「フヂちゃんストラップ」の写真。一応、ご紹介致します。2800円くらいです(高)。駄目かなぁ・・・。

2011年7月26日火曜日

今日の電者

「今日の電者は、ヤモリさんちで乗る事にしよう。」「フヂちゃん、カバンにハンカチ入ってる?」ヤマドリ一家は、これからハイキングに出かけるそうです。忘れ物しないようにね、フヂちゃん。

フヂちゃんのお話は、本当に、毎日出たとこ勝負で、話しを進めてますので、前後の脈絡や人物の設定など、急に変わったりする事も多いです。一番困るのが、フヂちゃんの年齢設定ですが、毎回その場の雰囲気で、変わりますが、こらえてくださいませ。

今回から、この3人はヤマドリ一家となりましたが、私の家族や名前とは、一切関係ございませんです(当たり前)。

キリンの背伸び

 今日(25日)はカメラを持って、娘と走りました。こちらが、公園に突如出現した、木下大サーカスの大テント。昨日のイラストと、テントの形が違うのは、ご愛嬌。手前のコンテナでは、団員の方達が生活されてる様です。
 昨日のイラストのキリン。今日もユラユラしてました。
 キリンの背伸び。
サーカス観に来てね!

2011年7月24日日曜日

キリンのユラユラ

今回は「フヂちゃん」はお休みです。
今日も朝から夕方まで、サウナスーツ着て頑張りました。いっぱい汗をかいたついでに、夕方は娘とランニングしました。

今日の城山公園では、仮設フェンスの向こうで、ちょっとくたびれた感じのキリンが、首を覗かせて、ユラユラしていました。

今月末から、ここでは、サーカスの公演が始まるのです。フェンスの隙間からは、ポニーがおかっぱ頭を覗かせていました。妻の話しでは、ライオンの吠える声も聞こえたそうです。

松山市の中心部には、野球場と競輪場と病院とプールとテニスコートと弓道場を潰して出来た、贅沢に広い公園の空間が広がってますので、時々、「木下大サーカス」がやって来ては、巨大テントを張って、一ヶ月間の公演を行っています。

娘は、小学生時代に一度、観覧してますので、もう行かなくて良いそうです。娘がサーカスに興味が無いってのは、何となく淋しいですが、そう云えば私もそうだった。

それより、団員から動物から、公園内で生活しますから、公園内に突然、一つの村が出現した感じで、サーカス自体より、そちらのほうがエキセントリック!です。世の中、表の世界より裏の世界の方が、面白いのは、子供でも知ってる事です。

これから一月間、ミニ動物園で楽しめそうですが、あまりタダで楽しんでばかり居ては、団員の方には、申し訳ない・・・。

産地直送

「それじゃあ、お父さん、リンゴはどうやって生まれたの?」「そりゃあもちろん、フヂちゃんのホッペから生まれたに、決まってますよ。」

今回は何だか、随分と手こずったので、痛々しい絵ですが、さて、一通り、可愛く話しがまとまって、この先どうしましょ。

子供の頃、珍しく友達が、ウチに遊びに来てくれたりした。じゃあ、何して遊ぼうかってんで、二人でノートにそれぞれ、黙ってマンガ描いて遊んだら、これが向こうは、ちっとも面白く無かったらしく、友達は二度とウチには来なかった。

ブログでマンガ描くのも、それと似てるかもしれません・・・。

2011年7月23日土曜日

左の鼻から小麦

「バンコに叩かれて、腹を立てたヌヴェレおばさんは、左の鼻の穴から、細い針のような刺の付いた、穀物の種を沢山吹き出して、自分の夫にくれてやるの・・・」

「バンコがそれを、3粒ほど拾って、顔をしかめながら食べてる間に、おばさんは今度は、口から川に魚を吐き出すの・・・」

「そうすると、ライ鳥は魚の居る川を嫌がって、水を飲むのをやめるから、おばさんはまた、ライ鳥に乗って、姿を消すんだよ。」

「ぢゃあ、刺の付いた種が、小麦のこと?」

「うん、良く解ったね。バンコが食べ残した沢山の小麦の種が、やがて芽吹いて、それを人間が収穫して、こうやってフヂちゃんのパンになってるんだよ。」

「え〜、ぢゃあこれは、ヌヴェレおばさんの、ハナク◯・・・」「かもね。」

本来は、眼、鼻、口、耳、頭などから様々な穀物や食物を、出したいところでしたが、収まりがつかないので、小麦と魚だけにしました。・・・フヂちゃんシリーズは、いつまで続く?

2011年7月21日木曜日

天と地の盤古

「ヌヴェレおばさんには、バンコって名前の夫が居てね、普段はお空に漂ってるんだけど、おばさんの姿を見付けるとね、直ぐにおばさんを捕まえては、飯を喰わせろって、棍棒でおばさんを叩くの。」「え〜、おばさん可哀想。」

盤古(ばんこ)というのは、中国南部の民族が伝える、世界を創世した巨人の名前です。盤古が世界を混沌から、天と地に引き分け、死んだ盤古の身体からは太陽や月、大地や大気、海や川など、あらゆる物が生まれたそうな、その昔。

ギリシャ神話の様に、ややこしい人間関係の神話は、中々頭が付いていけない私ですが、盤古神話のように単純な、世界の創世神話は、とても好んで読んでました。

盤古を、「萬兄/バンケイ」「萬弟/バンテイ」の兄弟に分けて、兄弟喧嘩をするって内容の、創世神話を勝手に作ったりもしてましたが、その時に考えたキャラクターが、上のバンコの素です。

混沌から生まれた巨人ですから、渦巻き模様が良かろうと思って、こんな顔にしました。映画「もののけ姫」の数年前でしたから、「シシ神」に影響受けた訳では有りませんが、しかし、漫画「風の谷のナウシカ」に、同じようなデザインのキャラクターが、居ましたね。

結局、これも宮崎さんの影響かぁって、いつもガッカリする訳です。

ライ鳥って、すごいね〜。

「おばさんは普段はね、一本羽に一本脚で、音の早さより早く走るライ鳥に乗って、走り続けてるから、何処に居るのか誰にも解らないけど・・・ライ鳥が時々水を飲むのに、川や池のほとりで立ち止まる時だけ、姿を見る事が出来るんだよ。」「ライ鳥って、すごいね〜。」

今日は娘も連れて、家族3人で改めて、「コクリコ坂から」を観に行きました。2回目は退屈するかなって、思ったのですが、流石に質の良い映画は、何度観ても良い気分で観れますね。

むしろ、物語の細部が理解出来て、1回目より良かったかも、しれない。時間の限られた映画の宿命かもしれないけれど、あらすじを幾らか、知ってた方が理解し易いが、楽しみは幾分減るかもしれず、難しいところだ。

娘の感想を知りたかったけど、直接聞くと、娘も答え辛いかと思ったので、「この映画、DVD買おうか?」と云って、遠回しに「面白かった?」って聞きますれば、「うん」ってすぐに答えが帰ってきました。

時代は違っても、娘と近い世代のお話であったのが、良かったのか、どうか、深く知りたいけれど、今はまだ深く尋ねないでおきましょう。

2011年7月20日水曜日

ヌヴェレおばさん

「フヂちゃん、パンの小麦を作ってる、ヌヴェレおばさんの事、知ってる?」「ううん、知らない。」

穀物(の種)が、女の神様の身体から生まれた、という神話は、日本だけでなく、むしろ広くアジア全域に分布している。ので、古代人の普遍的な世界観だったろうと思う。

なので、例えば豊作を天に乞うのに、人が祭祀を行って神官を仲介とし、特定の神に祈り、ひれ伏す事によって、得られるのではなく、女神(大地)の身体を通して直接、得る事が出来ていた時代があった、という事だ。

ヌヴェレおばさんは、私の創作ですけど、原始的な死と再生の豊穣神のイメージを基にしてます。

首のリングは、人間によって、神話化された神々に架せられた、呪縛のシンボル。神々は今や、人が語り、祭り、記す世界でのみ、生きる事が許されているんですね。

2011年7月19日火曜日

もうやめてね

「では改めて、いただきます。」「お父さん、逆さで食べるのは、もうやめてね。」

いただきます、ごちそうさまでした、と手を合わせるのは、信仰の作法でしょうか、ただの合図でしょうか。

早々に意味喪失した作法には、後から信仰的意味付けの化粧を、何度も施されてながら、今日まで続いている物が、多いのではなかろうか。

宗教者、研究者、学者は最終的に、日本の伝統的な信仰形態を、アニミズムに結びつける事によって、自分達の信仰の起源を、確保しようとするけれど、そのアニミズムを否定し続けてきたのが、日本(世界)の信仰の歴史では、なかろうかと思うので、そういうのは非常にずるく感じる。

祀られる神と、祀ろうとする人との中間で、飯を喰ってる立場から感じる矛盾、違和感は、日本人には、古来から普遍的に理解され、実践されている伝統作法、行事が、沢山有るように認識されていながら、その実、そういう物はほとんど存在しないのではないか?という疑念を持つ事で、幾らか解消されます。

・・・ちょっと難しい話しでした。

2011年7月18日月曜日

ああ、つかれた

「ああ、つかれた・・・。」「さあ、みんなで朝ご飯にしましょ。」

頭や身体に、ゴテゴテと装備を付けた兵隊は、見た目格好良いけれど、中々実際は動き辛くて困る。

昔も多分そうだろうと思って、それぞれに観察すれば、全身甲冑が印象的な、中世欧州の軍装も、干戈を交える最前線の兵隊は、鉄の帽子に、鉄の胸当てくらいが標準の様に思う。

気の利いた所で、鎖帷子など着てますが、これも重そうなので、チョッキみたいに、上半身程度なのが、好まれてたかも、しれない。

それじゃあ、映画やマンガじゃ面白く無いってんで、全身金属質な装備をゴチャゴチャ付けた兵隊が、ワサワサ出て来ますね。私は逆にそれが面白く無い。

胸当てだって、革のベルトで止めてるとは云え、動けばグネグネ上下左右にズレて来て、気になって戦闘どころでは、なくなってきそうだ。

本当に死にそうになる時は、格好なんてどうでも良くなると思うので、気の利いた兵隊は、そんなにゴチャゴチャ装備を付けないんじゃ、ないかな?

現在残ってる甲冑の多くは、西も東も、身分の上の人の鎧なので、これは実戦で動かなくて良い鎧ではなかろうか、なんて想像してます。

2011年7月16日土曜日

3人の英雄

「フヂちゃんの、寝起きの髪をまとめる為には、3人の英雄が必要だと、父さんは思うね。」「え〜、そんなに?」

今日は娘と走りました。途中、お堀の浮き板の上にとまってる、鵜がウンチをする所を観る事が出来て、二人で満足。我が家のツバメの子も、今年は順調に5羽も育ってくれてます。

福島の基準値超えた牛肉が、ここ松山でも流通してたそうです。ようやく、対岸の火事気分も払拭されるでしょうか?最善は尽くしていただきたいが、結果は、この時代に生まれた者として、自身も家族も、受け入れる心持ちなのは、少数派かな。

2011年7月15日金曜日

かまどんでジュージュー

ヤマドリ警備隊、野外炊事訓練の続き。今回は新型炊事装備を使っての調理演習。
大和重工社製の「かまどん」オーブンセットです。鋳物製の小型カマド。上に鉄鍋や鉄網のせて色んな調理が出来るそうです。妻の好みで買いました。

今回の大震災の避難所でも、活躍したそうです。金属製の収納ドラムケースを下に置けば、コンクリート床の上でも使えるそうな。
薪にマッチで着火中の隊員A。今時な子の隊員Aは、マッチの操作が苦手ですが、軍手をしてると怖さも薄らいで、勇猛果敢に着火出来ます。
小型のカマドなので、薪も小さく細い物がいい。充分火がおこったら、先ずは鍋の上蓋を逆さに於いて、鉄板として使います。写真奥の焚き火の残り火では、鉄鍋を熱して鶏肉を焼いてます。丸太に隠れて見えてるのが、鋳物の鉄網。
ジュージュー焼けるお肉ですが、次第に油が鉄板の窪みに溜まって、天ぷらになってしまうので、肉を焼くのは鉄網にしました。

カマドの口がやや小さいので、自然の風だけでは空気の出入りが物足りない。今度からはウチワかフイゴを持って来よう。
鉄鍋をかけて、シチュー作り。鋳物の重たい蓋と鍋なので、家の台所では作れないような、料理も作れそう。

これでご飯も炊けますが、ご飯は飯盒で炊きたいですね。今回は試験的な使用でした。
いつものように、食事の後は現状復帰。最初に剥いだ表土を、元の場所に戻します。ついでに枯れ草も散らして出来上がり。偵察ヘリが上を通っても、ここで炊事をした事は解りません。

飯盒炊飯のコツ

「フヂちゃん」のマンガを連載しだした途端、(元々少ない)ブログの閲覧回数が一気に半減しました(泣)。そうか〜、そう云えば元は、工作と子育てのブログでした。

それで、フヂちゃんばかりに、かまけてないで、今までのような記事も、載せましょう(フヂちゃんはやめない)。
 先日、ヤマドリ警備隊が実施した、野外炊事訓練の記録。いつものように、表土の草むらを、マス目に剥ぎ取ってから、穴を掘ります。剥ぎ取った表土は日陰に保管。
今回の飯盒炊爨用のカマド。いつもと違って、小枝を托架にして飯盒を吊るす事にしました。円匙で細くて深い穴を空けて、枝を差し込み、隙間に小石を詰めて固定してから、更に土を詰めて固定します。

着火材は、刈られていた草と、松の枯れ葉。薪の組み方は、軽く「ハの字」に交叉させるくらいが、良いと私は思ふ。最初から太い材を置く必要はないし、逆に置かない方が良いと思う。
 以前も書きましたが、飯盒炊爨の秘訣は、米の浸し時間にあります。お米を研いでから、少なくとも1時間は浸しておく方が良い。


予め浸しておいてから、出かける時に水分を一回捨てて、クーラーボックスで冷やしながら運べば、現場で水を足してやるだけで、すぐ炊ける状態になって便利。

写真は最初の、沸騰させる段階。強火でジャンジャン熱してやります。予め米の芯まで水分が通っていれば、沸騰と同時に熱が芯まで通る訳で、細かな火力の調整は必要有りません。
 沸騰して、中の水分が蓋の隙間から、ジュルジュル吹きこぼれるのが、収まる頃には、火を落としてやります。炭火の火力も高温ですから、炎が出てなくても、充分加熱出来ます。

とは云え、バーベキュー用の炭とは違って、私の持って来た杉板などの廃材利用の薪の炭だけでは、熱量が小さく、持続もしにくいので、時々は新しい薪を足しながら、調整します。
 蓋の隙間から出て来る、沸騰した水分の水煙が、飯盒の底の米の焦げる煙に変わる寸前くらいに、火からあげてやります。これを知るには、煙に鼻を近付けて、臭いで知るのが一番ですが、慣れてくれば大体の感じで解って来ます。

臭いを嗅ぐ時は、カマドから離した飯盒を、鼻に近付けます。鼻を飯盒に近付けると、カマドの熱で火傷しますよ。
出来上がった飯盒メシの、底の様子。焦げ付かないお焦げも出来て、香ばしいご飯になりました。

出来具合を、蓋を叩いた音で判断する、というのは、私には解りません。臭いや煙が一番確実に思います。

火からあげた飯盒を、さかさまに置いて蒸らす様に、多くのマニュアルでは書かれてありますが、私はそれは必要無いと思います。

底の水分を蓋側に落として、満遍なく蒸らす、という理屈だそうですが、そもそも、熱せられた水分は上に飛んで、底は一番水分が少なくなっている筈です。

更に、ひっくり返した底を、叩いてご飯を下(蓋側)に落とすと良い、というのも、単なるおまじないの様に思う。むしろ、飯盒は蓋も底も、叩かない方が良い。なぜならば、飯盒は薄いアルミで出来てますから、叩くとすぐ凸凹になります!

また、蓋の裏にご飯が付いて、開けた時に汚く、飯も取り出しにくくなります。

過去の関連記事:ここをクリック

以上、ヤマドリ式飯盒炊爨の参考でした。次回は、今回の写真の端に写ってました新装備、小型搬送式の鉄カマド(商品名:かまどん)を使った、調理演習の模様を報告致します。

2011年7月14日木曜日

そりゃあ偉いね

「毛布でお顔は拭きません。」「そりゃあ偉いね、フヂちゃん。」

昔は、漫画家になろうとか、アニメーターになろうとか、そんな事は夢にも思わず、また、そんな世界は自分に縁の無いものと思ってた頃、ただ楽しみの為だけに、マンガを描いてました。

今、こうやって自分の満足の為に、マンガを描いてると、その頃の事を思い出す。

絵の勉強にもなるので、出たとこ勝負のストーリー展開で進めていく、フヂちゃんシリーズは、不定期ながら、今後もビシバシ続けます。

2011年7月13日水曜日

虫眼鏡の使い

「あ〜!お母さん、カラダの戻りが上手ね〜!」「フヂちゃんの朝ご飯、すぐ準備するね。」

「コクリコ坂から」でも、主人公の女の子が泣く場面があり、観ていて思わずホロリとなったりした。物語に深みがあれば、喜怒哀楽の表現も難しそうですが、いつ泣くかは、主人公の心が決める事で、周りがそそのかす事では無く、その点映画では自然で良かった。

涙にも色々あるけれど、緊張がほどける時に出て来る涙は、中々止められない。それを「泣くな」というのは、無理な話だ。逆に、緊張の持続がまだ必要な人に、「泣きなさい」というのも、酷な話しだ。

いつ泣くか、泣くか泣かぬか、それを決めるのは、本人の意思であって、とてもとても、プライベートな事に属する、と思う。大袈裟に云えば、生き方そのもの、かもしれない。

「そんなことは・・・」と、途方に暮れながらも、「・・・私が決める事だ。」と、強く思えるような、人間になれたらいいけど、難しいのかな。

2011年7月11日月曜日

小人の母さん

「あれ〜?お母さんが小人になってる〜!」「フヂちゃん、お父さんにね、虫眼鏡持って来てって、伝えてくれる?」

夜中に、便所に行く途中に通る、両親の寝ている居間の障子の引き戸を、こっそり開けたらば、全く違う人が寝てるんじゃないかって、想像すると怖くなって、そそくさと便所に入ってました。

穴と隙間だらけの借家で、冬は寒かったけど、床下に、小人の住んでる事を、空想するにはうってつけではあった。今の高気密、ベタ基礎の家は、住環境を劇的に良好に変えてくれて、素晴らしいと思う反面、小人は住めなくなりましたね。

毛布もお目覚め?

「おはよう、フヂちゃん。毛布もお目覚め?」「あれれ?人形がしゃべってる?」

私の娘は、縫いぐるみや人形には、全く執着が無くて、それよりお気に入りの毛布を大事に抱えて、何処へ行くにも離さなかった。

その毛布は、今はヤマドリ博物館に、厳重に保管されてますが、出して来たらまた、離さないんじゃないかってくらい、お気に入りです。

兄弟姉妹や、大きなペットが居なかったせいかも、しれないし、外的要因とは全く関係無い、娘の先天的な好みかもしれない。

2011年7月9日土曜日

おはよう、フヂちゃん。

「おはよう、フヂちゃん。」「あ〜!お父さんサカサマ!!」

大人になると、子供の頃の事を忘れてしまうというのは、ちょっと違ってて、もう少年少女の頃から、小さな頃の出来事は、忘れてしまってますね。

私の娘は、私も昔こうやって、毎日サカサマで、生活してた事を、すっかり忘れてしまってるやうです。

まぁるいお目々の

玩具の「フヂちゃん」を、絵本にすると、こんなイメージの女の子になるようです。大きなまぁるいお目々の「フヂちゃん」。・・・ちょっと、人形とはイメージ違うかな?

これも、絵本なんか描いても楽しいかもしれん。それで、色々空想中です。自分の中に空想のネタを持つ事は、中々難しい事です。絶望的に無い時も有れば、ひょんな事から、浮かんで来たりする事も有るし。なので今は、ちょっと嬉しいですね、ネタが出来て。

色んな事を、ゆっくり時間かけて、取り掛かれば、出来ないと思い込んでた事も、出来るかもしれないし、出来ないかもしれない。

2011年7月5日火曜日

 塗装で失敗したかなぁって、落ち込んでます。この輪郭線は失敗だったかもしれない。髪の毛の青い影も、要らなかったかも。けれど、普通に塗ってしまうと、「絵本玩具」じゃ無いかなぁって、色々な迷いもありました。

これを仕上げ磨きして、オイルを塗るとまた、違った表情になるので、まだ決めつけてはイケマセンが、あまり期待してません。作り直しかなぁ。

こういう時は、何かにすがりたい気分ですが、すがれる物はありませんし、誰かに頼る訳にも・・・そうそう、親方が居ましたんです、私には。

ルル親方は鳥のくせに、絵描きも上手で、頼まれれば、器用に何でも描いてしまいます。好きな色は黄色やオレンジだそうです。

生来のイタズラ好きなので、幼鳥の折より巣の周りに落書きばかりしては、親鳥から怒られていたそうな。そんな親方が、昔居た部隊で描いた絵の見られるのが、下の写真(写真のつもり)。
戦闘機を修理したついでに、国籍マークも描いたのだけど、マークが自分の目玉と似てるので、勝手に自分の顔や姿も描き加えた、そうです。

ところがこれが、部隊の隊員には好評だったらしく、このまま部隊の識別マークとして暫くの間、使われていたそうですから、親方のデザインセンスも馬鹿に出来ません。

しかし、尾翼に描いた自分のサインは、部隊と関係無いとて、直ぐに消されてしまったのが、ルル親方には納得が行かなかったと、後で私に話してくれました。

親方は、すごいなぁ・・・。