2011年8月30日火曜日

背中のお餅

フヂちゃん更新しました。ヤマドリ漫画帳で、どうぞ。
一枚に、2コマ描いたのですが、見にくいですね。別々のコマにすれば良かったと、後から気が付いた。今度からはそうします。

昔、娘の姿勢を後ろから見てて、背中が曲がってる時は、「背中に大きなお餅が付いてる!」って、注意したものです。

「そんなにお餅が好きなのか?」「それはアナタの非常食か?」と、突っ込みまくる事しばしばでした。

娘と車に乗ってて、自転車乗ってる人の背中みて、「ほら、あの人の背中に、大きなお餅が付いてるだろ?」って云うと、納得する娘でしたが、本人のお餅も、中々立派なものでした。

で、今日ふいに娘が、「わたし最近、背中のお餅が無くなった。」なんて、思い出した風に言い出した。

「この前の試験で、先生が、『アナタが一番背が高いように見えますね』って、云ってくれたんよ。」なんて事を云う。

先日、娘は美術科のある、私立の高校の実技試験を受けましたんです。週一のデッサン教室で約1年、デッサンをかじった程度ですから、受かればラッキーくらいなものです。

それで昼食時に、お弁当を食べてたら、向こうの教師?から、「姿勢が良いね」みたいな?事を云われたそうで、何でも誉められて、ちょっと嬉しかったのでしょう、今頃になって私に、思い出したように話してくれた。

私立学校や会社なら、成績の他にも、そう云う所でチェックされるものなのよ、と云ってやりましたが、親としても、それはそれで、ちょっと嬉しいですね。

・・・で、受かるのか?肝心の実技試験は。

2011年8月29日月曜日

更新

フヂちゃん31話更新しました。

2011年8月24日水曜日

欧風がいい

ヤマドリ漫画帳、フヂちゃん:27話に更新しました。リンクは右のバナーから、どぞう。
ついでに、ブログ村のランキングにも加入致しましたので、お読みになられた後には、ブログ村のバナーなど、ポチとして頂ければ、有難いです。

今日は小さな妻が、大きな熱を出して寝込みました(もう大分治った)ので、夕食作りを、娘とする事にして、先ずは食材の買い出し。

小さな妻が、大きなピーマンを、頂いてきてましたので、それを使って何か作る事にした。

で、先ずは、作るオカズの味の方向性を、決めないと。近所のスーパーに向かう道すがら、父と娘の料理問答。

「どうしたいか?」って、娘に聞けば、「おう風がいい」って云う。「何だ?おう風って、横着な風か?横暴な風か?」って聞けば、欧州風の風だそうな。

「ならば、ピーマンを、欧風な味に仕上げるには、どういう調味料を使うのか?」と聞けば、「塩!」って云うので、「そりゃあ塩が無けりゃあ、料理は出来んけど、どんな料理も塩使うじゃん」って返せば、「オリーブオイル!」というので、オリーブオイルを使う事にする。

「ピーマンは、どう使う?みじん切り?炒める?包む?」と、畳み掛けて質問すれば、「包むのが良い。」と答える。

そこまで決めたら、後はスーパーで食材見ながら、頭の中で調理法をチャカチャカ考えて、食材揃えてさあ、調理です。

何か、何でも良いけれど、物を作るには、他人からは教わる事の出来ない、何らかのセンスを持っていないと、一通りの事を習得出来ないのでは、ないかと思う。

娘は、その点、親のひいき目に見ても、やや劣ってる気がするのです。自分から植物の世話をしたり、食事を作ったり、生き物の世話をしたり、云われなくても自分から、何かを黙々と続けてたり、そういう部分が無いので、彼女はたぶん、創作的な分野の一線で活躍する人、になる事は向いてないと、思ってる。

ので、彼女なりに幸せになる、私の知らない道筋を、大きな目で見守ってやりたいと思う。

2011年8月21日日曜日

クダコ燈台退息所

今日(21日)は日曜日ながら、仏滅という事で、大した仕事がありません。ただし仏滅が、私の仕事に関係している訳では無くて、お客様の方が関係してて、来られない様なのですが、詳しき事は定かではない。

それで以前、㈱大五木材の高橋様のサイト内のブログで紹介されました、香川県は高松市にございます、四国民家博物館(四国村)に、家族で行って参りました。

その前に、ついでと云っては何ですが、妻と娘が好きな、香川の特産品、和三盆のお店「豆花」さんに、お邪魔して、和三盆作りを体験しました。
 写真奥、豆花さんの指導のもと、木型に着色した和三盆を押し込んで、型をつけている所。
ヘラでトントン、叩いて型から外して、ハイ、出来上がり。和三盆が乾燥する前に、素早く作業するのが肝要なようです。出来上がったお菓子のアップ映像は、豆花さんのブログの中で、「ヤマドリ」で紹介されてますので、お暇な方は、そちらでどうぞ。

その後、豆花さんのお父様で、菓子木型の伝統工芸士、市原様には、様々な木型を見せて頂き、職人の身体の苦労譚なども、聞かせていただきましたが、私の腱鞘炎など、ま〜だまだ軽い方ですね。

詳しくは、市原様のサイト「菓子木型の世界」をご覧下さいませ。国内外の様々な分野の著名人からも注目を浴びている、素晴らしい職人技の作品が、閲覧出来ます。。
さて、四国村です。入場料大人800円、小中生300円を払って、中へ入ると先ずは、カズラ橋がお出迎え。それなりに揺れて、丸太も折れそうで、真面目に渡らないと、真面目に落ちてしまいそうなのが、小人達には好評でした。
民家の離れの厠小屋。妻の幼少時代の親の実家に、同じ様なトイレがあったそうで、懐かしがってます。その横には、五右衛門風呂があります。
日本では珍しい、円形のこの建物は、牛を使ってサトウキビをしぼる作業小屋。が、娘が興奮して見てるのは、指差してる木に貼り付いてる、大きなヒルでした。
建物はどれも古くて立派で、日本の野外博物館としては珍しく、見応え充分でした。数が多くて紹介しきれず、面倒なので(笑)、詳しい事はリンクから、四国村のサイトに入って、各自でお調べ下さいませ。

私の場合、建物を見る時は、屋根と壁の繋がる部分(梁、根太)の構造、処理の仕方とか、
地面と壁の繋がる部分(基礎)の構造、処理の仕方、考え方とか、
屋根裏、床下の構造、状態、劣化の様子、臭いとか、
出入り口、窓の枠の構造と壁の処理、仕上げ方とか、そんな所を目に焼き付けたり、空気に触れたりして、成るべく自分の身体に染み付けておきたいですが、中々難しいので、結局写真に残して安心してそれっきり、かな?

今回特に印象的だったのは、古民家の玄関の高さが、どれも低く感じた(頭下げないと入れない)事で、写真では実感出来ない知識です。

そういった知識は、絵を描く時の、大事な情報ですね。構造を理解し、手に触れたり眼に焼き付けたり、している情報は、資料が無くても映像化出来るし、正しく自分色のウソを描く事が、出来ますね。

そう云った事を、天才的に?やってのけてる一人が、宮崎駿監督だ。
今回、一番気に入った建物。明治36年竣工の、燈台職員用の宿舎(旧クダコ燈台退息所)。洋風と和風の折衷した構造なのが、現代を生きる私にも、心地良く感じられる建物で、住んでみたい物件ナンバーワンです。ちょっと、要塞の司令部な感じも、私好み?

入り口に正面にはなんと、小さいながら池の掘られてあるのが、面白い。
「我が家へようこそ!」な写真。妻も、ここが気に入ったようで、二人で「じゃあ、ここに決めようか。」なんて、物件探しごっこもしたり。

土間の通路と、正面玄関挟んで二家族用に、居間と奥の間、カマドがあって、床は畳敷きです。

ところでこの写真の構図、フヂちゃんで描いた、ヤモリ婆さんの居た部屋と通路の構造に、そっくりですね。私はきっと、こういう構造の家に、無意識に憧れてるんだと、思います。

今日は楽しい、日曜日でした。

2011年8月19日金曜日

熱い影

「電者が生まれた起源はね、何千年も昔の人が、炎の中から取り出した、小さな命が始まりなのよ。」
「炎って?」
「燃えてる火の事ね。」「炎の中には光と影が隠れていてね、その熱い影だけを取り出して、胚芽の付いた穀物の種を、心臓に付けてやって、命を生み出すのよ。」
「ふ〜〜ん。」

フヂちゃんには、ちょっと難しい話しが続きそうですが・・・

ここでお知らせです。
大好評?連載中の漫画「フヂちゃん」は、新しいブログに移転致します。新しいブログ名は「ヤマドリ漫画帳」です。で、こちらのブログはタイトル通りに、玩具製作と子育て記録を中心に進めて参ります。

漫画も一緒だと、整理が付かなくなってきて、困ってしまいましたので、そう云う事に致しました。

このブログの右のバナーに、リンクが貼ってありますので、今後の興味のお有りの方は、そちらでご覧下さいませ。(現在編集中です)

また、漫画の更新のお知らせは、こちらのブログ内でも、表示致します。
一体、何人の方が、漫画をご覧になってるや、定かではありませんが、フヂちゃんは当分続きますので、どうぞお楽しみに?

2011年8月16日火曜日

出発の合図

「ピ〜〜〜、ピ!」と、者掌さんが笛を鳴らすと、出発の合図です。この音を聞いて、電者はまた、ヘトヘトと足音を立てながら、電線の上を滑らかに歩いて行きます。

「電者って、笛の音で動くの?」「フヂちゃんは、電者の始まりのお話、知らなかったかな?」「うん。」

次回からは、電者の始まりのお話です。知らない方は、フヂちゃんと一緒にお父さんの話しを、聞いてやって下さいませ。

2011年8月13日土曜日

ちょっと面白い

者掌さんが、身体に掛けたロープをたぐると、電者の乗り口から赤い絨毯の様なハシケが、スルスルと空中デッキに渡されました。
「さあ、フヂちゃん、これを渡って電者に乗るよ。」「え〜、不思議!でも、ちょっと面白いね。」

前に描いたイラストと辻褄合うように、電者の構造など考えて、何とか上手くまとまると、ただクスッと嬉しい。これも大人の楽しみだ。

切符のパチン

者掌さんは、フヂちゃんの切符を受け取ると、小さな鋏でパチンと穴を、開けました。「はい、切符をお返しします。降りる駅まで、落とさないようにね。」

背景なんかも、軽く下書きしましたが、もう時間がないので、二人だけのカットです。

2011年8月11日木曜日

切符を拝見

「わわわ!」電者から、お猿さんみたいに、身軽に飛び移って来たのは者掌さん。「お嬢ちゃん、こんにちは。皆さん切符を拝見致しま〜す。」

石鎚登山の疲れで、身体がまだ重たいです。

石鎚山岳機動演習詳報 後編

 石鎚山の奥宮のある山頂(弥山/ミセン)の隣に、もう一つ小高い山がそびえていて、そちらが実は、西日本最高峰の天狗岳(1982m)です。

奥宮の山頂から天狗岳まで、岩場の尾根を歩いて200mほどの所です。先ずは腹ごしらえを済ませてから、隊員一同、天狗岳を目指します。

弥山山頂から数メートルほど、鎖を使って岩場から狭い尾根に降りる隊員B。
 先頭は隊員Aが勤めます。落ちたら死にますが、見た感じ程、険しい足場ではありません。
 写真左奥が天狗岳の山頂。隊員Bのお尻の重さを考慮して、山頂手前で引き返す事にしました。
 ほぼ、西日本最高峰の岩場に立つ隊員A。人生も、ほぼ最高峰の幸せを、自分の力で掴んで下さい。
 天狗岳側から、奥宮を見た景色。霧を遮る壁の様に立ちはだかる、石鎚の偉容。実際、四国に迫る台風は、この石鎚の山脈によって、進路を遮られて東に逸れて行くのです。
 隊員Bの指差す方向に、奥宮が見えます。石鎚山頂は雲の通り道なので、深く霧がかかったり、急に晴れたりと、景色も急変します。
 再び、鎖を伝って弥山山頂広場へ戻ります。こう云うのは、楽しそうな隊員A。
ヤマドリ警備隊の記念撮影。さあ、これから下山です。
 空中回廊。下り側は手すりが無くて、スリル満点です。楽しそうな隊員A。
 お陰さまで、全員無事に下山出来ました。今回の演習は、良好の評価を頂きました。
帰りのロープウェイ乗り場。こういう景色を見るとすぐ、映画「荒鷲の要塞」を思い出す世代の隊長でした。

2011年8月10日水曜日

石鎚山岳機動演習詳報 前編

ヤマドリ警備隊は、8月9日、石鎚山にて、山岳機動演習を実施致しました。
 先ずは、警備隊隊舎を出発して約2時間、石鎚山系のある西条市の、登山用ロープウェイ乗り場まで車輌移動。続いて7分半の空中機動を行い、一気に標高1300mまで移動。
 ロープウェイを降り、一列縦隊にて、四周の鳥のさえずりに警戒しながら、20分ほどの移動で成就社に到着。このお宮が今回の石鎚機動演習の出発点。この時点で標高1450m。

拝殿でお賽銭を奉納し、演習の無事と娘の受験の合格を祈り、いざ行軍開始。
 道標によれば、山頂まで片道約3.6km、標高差約520mの行軍です。山道の所々に、苔むしたブナの巨木が枝をいっぱいに広げ、山の神性を醸し出してくれてます。

写真は、隊員Aを先頭に、野鳥の鳴き声攻撃を警戒しつつ、一列縦隊で行軍中の、ヤマドリ警備隊。
周囲から散発的に発せられる、野鳥の鳴き声攻撃に、嬉しそうに身体を固めて立ち止まり、聞き入る隊員達。その為、隊の行軍速度が低下し、爾後の作戦行動に、支障をきたす恐れも生じた事は、本隊の性格上、如何ともし難い事ではあった。
当初、45分間隔で15分の休憩を入れましたが、疲れがたまり、上りの坂も急になるにつれ、休憩までの間隔が、どんどん短くなりました。

写真は、上り坂の途中で休憩中の隊員達。携行食料は、野戦用駄菓子や野戦用栄養補助食品が主体で、隊長が携行。隊員Bは、山頂で全隊員に支給する糧食用に、おにぎりを携行してます。水分は、500mlペットボトルを各自4〜5個、隊長は6個、携行しました。

他に、共通の携行品として、着替え上下と、合羽を背嚢に組み込んでいます。

隊長は他に、各種救急用品なども持ちましたが、飲料水3ℓの重さには辟易してしまった。軽くして楽に歩き、のどの渇きは多少我慢するか、非常の事を考えて、予備の水分を持つ代わりに、辛い思いをするか、難しい所だ。
1時間以上も過ぎると、どんどん脚が重くなって来ます。すっかり疲れた様子の隊員A。それでも、前を歩かせると、セッセと早めのペースで歩くので、スローペースの隊員Bを先頭にしてます。隊長は基本、最後尾を歩きました。
石鎚山は修験者の信仰の山ですから、このように峻険な岩肌の数カ所に、レンジャー訓練場(鎖場)が設けてあります。

かなり高所かつ、急な勾配(傾斜約50度だそうだが、腕の長さ分、更に傾斜がかかって、体感傾斜は90度!)の所もあって、隊長は以前、一度経験しましたが、重たいリュックに引っ張られたり、足をかけ辛い鎖のスパンに手こずったりと、真面目に死ぬかもしれないって、思った程の所も有り、以後は迂回路を利用してます。

なので、脚力は人並みながら、握力の劣る隊員Aには、危険と判断しまして、今回はレンジャー訓練は見合わせる事にしました。実際、怪我人や、死人の発生の多い場所だそうです。

それでも、隊員Aの握力に見合った地点までは、登坂訓練を行いました。写真はその一場面。
山頂近くなると、霧が深くかかってきます。高山ならではの景色ですね。稜線をなぞって進む山道の、側面を覆う笹の向こうは、急な斜面になってます。
斜面に架けられた、金属製の空中階段/廊下。以前はこれが、木製で、鎖の手すりが付いてるだけなのが、とても危なっかしくて、楽しかった。

画面左側が上り用、右が下り用。下り用は反対側の手すりが無くて、落ちると、急勾配の岩肌を転がり続ける事に、なりそうです。

昔、水筒を落とした時に、転がり落ちる音が、いつまでも続いたものです。(山にゴミを残してしまった/反省)
いよいよ、山頂です。標高約1974m。ロープウェイ降りてからの所用時間が約3時間で、中々立派な物です。

山頂には石鎚神社の奥宮と、立派な山小屋(宿泊可能/食事付き)があります。氷水で冷やされた缶ジュースも、1個350円で買えますよ!
山頂から見る、石鎚の悠然とした山肌。演習の半分を無事終え、隊員も先ずは身体を休めて、演習の後半に備えます・・・次回につづく。

2011年8月7日日曜日

斥候の前進動作と報告要領

昨日から、誘われて、Facebookというのに、登録しました。どう使って良い物やら、まだ良く解りませんが、一応お知らせ致します。

今日は仕事を終えてから、夕方、娘を連れて山岳機動訓練を行いました。もう数日後に、四国最高峰の石鎚山で、ヤマドリ警備隊の山岳機動演習を行いますので、それの訓練です。
 リュックには2リットルの水入りペットボトルと、合羽など入ってます。当日は更に重くなる筈です。肩に担ぐ竹棒は、簡易担架に使う物ですが、登山の杖用には大きすぎたので、石鎚には一回り小振りなのを、持って行く事にしてます。
 ただ、漫然と歩くのでは、芸が無いので、交互に前進する斥候動作を取り入れた。

控えの警戒地点から、隊長の合図で駆け足前進する、隊員A。
今度は隊員Aが先行し、前方の山道を警戒しながら前進。
 何も指示してないのに、すっかり状況の人となってる隊員A。楽しそう。
 誰もいない、の合図で、今度は私が駆け足前進。・・・と思ったら、石垣の門の所に作業員が。「・・・駄目じゃん、居るじゃん。」見付けたら、戻ってちゃんと報告しましょうね。
山道の薮の奥に、 怪しげな鉄格子の門を発見。早速隊員Aに偵察を命じる、ヤマドリ隊長。

隊員Aは、門を見て、すぐ帰ってくるので、「云ったとおり、行ける所まで上がりなさい。」と、再度命令。もう一度斜面を上がって、降りて来た隊員Aの報告に依れば、

「門には『松山水道調節池』って書いてあって、上に上がると、大きな水槽の蓋みたいな所に、作業員のオジサンが一人居た。」そうです・・・良く調べて来ましたね。
 訓練の為、山を登ったり、降りたりするうちに、ヤマドリ隊長は突然、脚を痛めてしまった!・・・という想定が入って、隊員Aは、隊長の荷物も担ぐ事になりました。

身体の前に担ぐと、「軽く感じる」と云って弱音を吐かない隊員A。暫くはこの格好で山を登りました。

帰りに、どの場面が為になった?って聞きますれば、この荷物を余計に担ぐ所が、自信になった、とか云っておりました。負けず嫌い?
で、ついでに簡易担架の製作訓練も、登り始めと終わりの2回、行いました。前回やったのを、かなり忘れてましたから、繰り返し演練します。指導役で立ち続けてた私は、体中を蚊に刺されてしまった。

そんなこんなで、1時間半くらい、山の中で楽しく遊んで帰った、日曜日でした。

2011年8月6日土曜日

飛び移る

「お父さん、あの人サーカスの人?」「いやいや、あの人はこれから、こっちに飛び移る準備をしてる所。」「え〜!なんで?」

今日の絵は、めげました。一枚目の絵は簡単だけど、二枚目に同じ物を、角度を変えて描くのは、難しい・・・みたいな内容の事を、宮崎さんも仰ってらしたけど、正にそうなりました。

電者の正面の絵が、簡単そうで、中々描けませんでした。これも、少しおかしいけれど、もう疲れた。・・・なので、背景は適当になってしまった。まぁ、続ける事に、意義が有る。

2011年8月4日木曜日

シマシマの

「ほら、フヂちゃんの乗る電者が来るよ。」「お母さん見て〜、シマシマの電者やね〜。」「電者にも色々模様があって、面白いね。」「うん。」

電車を現実とは逆に、電線の上を走らせてる絵を描くと、面白いだろうなって、考え始めたのが昨年の今頃。それから約1年目に再度チャレンジして、ようやくイメージを絵にする事が出来て、私は今とても嬉しいです。

この嬉しさは、しかし、共有出来る人が身近に居ないため、実に孤独な喜びではある。孤独が好きって事はないけれど、結果そう云う事になってしまってるのが、悲しや淋しや。

電線の上を走るなら、綱渡りみたいに、ヒトガタが歩いて渡るのが良いなと思って、当初は普通の電車の車体に、ヒトガタが付く形で描いてましたが、中々まとまった絵にならなかった。

それから紆余曲折あって、結局、船の形にヒトガタが付く、今のアイディアに行き着きましたが、しかし、昨日までデザインがまとまらず、昨晩は敗北感に打ちひしがれてました。おそらく、20種類くらいのカットは描いたと思う。

もう駄目なんじゃないかって、思ってたら今日、このデザインが浮かんでから、ようやく納得の行く絵が描けた。絵を描いてて、嬉しくて楽しいのって、久し振りでした。

しかし、これを今度は違う角度から描かねばならず、絵の辻褄合わせの課題は、大きく膨れるばかりで、ございます。

2011年8月3日水曜日

まだ来んの?

エレベーターに乗って、停者塔の乗降デッキに上がったフヂちゃんは、4階建てに近い塔の高さが、ちょっと怖い。

「電者、まだ来んの?」「この床、人が何人も乗っても、下に落ちんの?」「風がビューって吹いたら、飛ばされそうやね〜。」・・・中々落ち着かないフヂちゃん。

もっと、画面の空間を生かすべきだろうけど、描いてると自然、画面一杯のサイズで描いてしまう、癖が有るらしい。

木造の塔となると、ついつい中世ヨーロッパ建築風な構造を描いてしまう。しかし、こういう話しには、寺社仏閣のような風体の建物は、似合わない。

デッキが下に落ちないのは、デッキ下に見える、リングの付いた刺のような設備が、デッキの重さを支えている様です。だから、安心してね、フヂちゃん。