日夜、本業に隠れて「絵本玩具」の研究に勤しむ、「ヤマドリ警備隊」ですが、今日は隊員揃って「野外炊飯訓練」を、秘密裏に実施致しました。場所は久万高原町にございます、秘密のヤマドリ演習場。
車輌で移動、陣地進入した後は、炊飯陣地の構築です。写真は、防寒外套一型を着用した隊員Aによる、炊飯陣地資材搬入中の場面。教範通りの見事な搬入姿勢をご覧下さい。
次に、携帯円匙(エンピ)での、炊事壕の構築。掘開部をエンピの先で田の字に切り込み、これを経始線として、ブロック毎に底からすくい上げていきます。ブロックは元の順番通り、壕の左脇3メートルの位置に保管します。
壕を掘ったらば、堀土を前面に積み上げて築堤し、余分な風の侵入を防ぐ。左右には丸太を配して托架とし、飯盒用渡し木(竹)を托す。(以上、ヤマドリ露営教範 第3節 飯盒炊事より)当陣地に於いては、風向きは陣地に対して、前後に不規則に変化するため、風の上下は左程配慮しないのが、通例である。写真は、防寒外套二型(簡易式)を着用して、火力調整を行う隊員Aと、調理長。
この自衛隊飯盒は、3合炊きです。蓋にフックが付いていて、吹きこぼれで蓋が開くのを防ぎますが、実際は、蓋を皿代わりに使用する際の、取っ手の役目で使います。自衛隊の訓練で飯盒炊飯する事は、ほとんどありません。飯盒は主に、食器として使われてます。
戦闘中に、呑気に飯盒で飯を炊く時代は、もうとっくの昔に過ぎ去ってます。旧軍はその点、大変な苦労をしたようで、煙を出さないように、地下式の炊事壕なんて物も作られてたようで、穴掘り作業も大変だったでしょうが、それより一番問題なのが、燃料の調達だったでしょう。
日本軍の駐屯した後は、何も残らないなんて、云われたのも、燃料確保の為にそこら中の木質材料(家の戸とかテーブルとか)を、薪にしたせいも、あったようです。
蒸気の煙が、焦げの煙に変わる前に、飯盒を取り上げます。このタイミングが難しいかもしれませんね。いつも勘で済ませますが、今回も上手く行きました。ふっくら炊けて、底にうっすらお焦げも出来ました。
飯盒炊飯で一番肝心なのは、実は、炊き上げる前の段階、お米をしっかり水に浸けておく事です。飯盒のときは数時間前(出掛ける前)からでも構いませんし、時間が長過ぎて困る事は、ありません。一晩浸けておいて、朝水切りしてタッパーに入れて、保冷剤と一緒にクーラーに入れて、現場で再び水を入れると、手間が無いです。
オカズは、炭を使ってバーベキューしました。これはまぁ、普通ですね。
焚き火も済んだら、原状復帰して帰ります。保管しておいた表土のブロックを被せて、落ち葉なんかもかけてやると、ここで焚き火した事も解りません。紅葉がちょっと、わざとらしかったけど。
焚き火跡は、中々自然の姿には返らないですから、ここまでしなくても、黒い炭なんかは持って帰って、ゴミで出すのが良いと思いますよ。手間だけど、始めにすこ〜しなりとも、土を掘ってから焚き火をしたほうが、灰や小さな炭を埋める事も、出来ますね。
娘が見付けたキノコ。これは何とかタケといって、食べられるんよ〜なんて、云ってましたが、もちろん食べませんでした。知識だけは持ってる娘。
他にも色んなキノコを見付けましたが、ホコリタケがいっぱい生えてて、小さな巾着みたいなのを踏むと、ブワッと胞子がホコリみたいに吹き出して、楽しいのを、隊員総出で行いました。隊員Aは、今回の訓練でこれが一番「楽しかった」そうです。
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