2012年4月20日金曜日

色と木の玩具考

 ん、できた。
 ・・・ん。
・・・うん。
木の製品は、基本的に経年変化が激しい。何故、美しい木肌に色なんて塗るのか!って聞かれれば、塗らないと(ひとりでに)汚くなるからだ、と答えるのが良いかもしれない。

汚くなるは、言い過ぎかもしれないが、それくらい云わないと、おそらく理解し難い。

植物油で仕上げても、時間と共に油焼けをおこして、木肌は激しく黄変する。

白木なら、触った手の汗や汚れが浮かんできたりするし、ハエの糞の汚れなどが染みて取れなかったりするし、白木自身のアクが浮かんできて、赤黒く変色もする物もある。

木の仏像だって、昔から伝わる物は、元々色が塗られていたのが、風化して剥げてしまった物がほとんどで、むしろ始めに漆などで色塗装されてたお陰で、今に作品が残ってる訳だ。

白木の美しさを存分に五感で味わえるのは、残念ながら制作者側の特権であろう。作品や製品になってしまった後の白木の美は、消え行く残り香に過ぎない。

それもまた、美ではあるけれど、そんな揺らめくような価値観の商品は、特定の世界の人以外を相手には扱えない・・・つまり、普通の流通、市場には出せない。

ドイツの木製玩具が基本的に、分厚い色の塗装膜で木肌を完全に外気から遮断しているのも、白木の製品が如何に経年変化や汚れに弱いかを前提にした造り、である事の証左でもあると、推測している。

冷静に考えてみれば、完全に固形化した塗装膜の破片の一片を、幼児が飲み込んだとしても、それが健康を著しく害するとは思えない。ただ、未消化のままウンチに混ざって排泄されるのではないか?

対して、無塗装の白木の玩具の、表面に染み付いた汚れや細菌は、幼児の健康を損なわないとは云えない。なので、子供の健康の為に色を塗らない、という口上には反対しないが、納得もしてない。

じゃあ、塗装すれば問題無いかと云えば、そうでもない。塗装にも、経年変化を生じる塗装と、ほぼ変化しない塗装があり、ドイツ製の多くは、ほぼ変化しない皮膜の分厚い塗装である。

その場合は、塗装膜自体が無機質なツヤを放ち、外観だけでは素材である木の風合いなど皆無であるが、手にした時の適度な重量や質感は、木である事を感じさせてくれるし、作品に色のバリエーションを加えられる。

そして、大事に扱えば、数十年間は商品としての品質が変わる事なく保たれる。汚れも濡らした布で簡単に落とせる。これこそが、木の玩具大国である独逸の大人な答えであろう。

研究すればするほど、憎らしくも感心する、独逸の木の玩具ではある。(ただし、デザインに関しては、「先進という名の保守」的な思考に固められて、自由が無いように思う。日本のデザイン界は些か独逸製の木製玩具を誉め過ぎだ)

それに対して、私が今やっているのは、経年変化の現れる塗装法である。写真ではツヤのあるこの作品も、2〜3年も経てば黒いウォルナットの部分のツヤは半減し、色彩のツヤも減る。少し水でも被れば、ツヤも減り、ムラが出るかもしれない。汚れにも強いとは、云えない。

これらは、仕上げに塗ってるミネラルオイルの変化であるが、これを防ぐ手段を今の所知らない。不乾性オイルなので、コマメに布や手で撫でていれば、ツヤはある程度保たれるけれど、それだけ手間が必要という事だ。

変化する事を解ってて、それを商品として売って良い物かどうか、その事が今、一番頭を悩ませている。これは果たして、商品となり得るのだろうか?そんな根本の所からまた、振り出しに戻ってしまった

は、学生時代に憧れた宮崎さんの才能ほどに、魅力的な木製玩具を創作する事ができるので・・・あろうか。

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