2010年9月28日火曜日

クマザサ服飾考

別に、今の外交問題にリンクさせるつもりでは、ありませんが、私が体験した自衛隊の、ゆるい話題を一席。
今から20年近く前の写真。埼玉県は朝霞の駐屯地での、観閲式典参加中のショット。上空に空挺隊員の自由降下中の姿が見えます。

今はもう、ほとんど見られない、旧タイプの迷彩作業服。戦闘服ではありませんよ、作業服ですよ。通称「クマザサ迷彩」と云われたくらいですから、クマザサの生い茂った環境での活動を前提に、デザインされたんです。つまり、北海道ですね。

これを、南北に長い日本の、全ての自衛官が着たんです。なので、南の部隊が、ご当地の山中で演習をする と、クマザサの無い環境では、大変良く目立ちました。(泣)

それでも皆が着たのは、有事の想定地域が、北海道に限られていた、時代だったからですね。南の部隊も、何年かに一度は必ず、北海道まで移動して、訓練を行ってました。
これは、先の写真の前日、予行演習の時の写真。同じ人物を撮ってますが、この日に着ているのは、ただの作業服。何故、予行演習でも迷彩服を着ないかと云えば、迷彩服の官品が1着しか、支給されないからです。公の行事には、官品の迷彩服でないと、いけません。

で、これを数日前から、アイロンかけて、形を整えてるもんだから、当日以外に着る訳にはいかないって、事ですね。対して、ヘルメットカバーは、すぐシワになるって物でもないので、付けたままなんです。

じゃあ、私物の迷彩服、作業服って、どう違うの?って、事ですが、私物の作業服は、駐屯地内の売店で、各個に購入しますが、民生品なので、官品とは少し、生地やら色身、作りが違うんです。普段の作業は私物を着て、官品は成る可く着ないようにするってのが、ベテラン自衛官の悲しい心掛けって、もんです。
これは、松山市の駐屯地祭でのショット。15年くらい前かな。まだまだ、地方の部隊では依然として、クマザサ迷彩でした。蒼々とした芝に対して、クマザサな柄がとても目立って、私はここに居るよと、自己主張してます。

ベルトやサスペンダーは、木綿の織布。ケース類は帆布に防水のゴム引きした物を、使ってました。トラックの荷台カバーみたいなやつですね。個人的には好きな素材です。

ヘルメットの網に結わえてある偽装は、古い落下傘の布を裂いたもので、リサイクル好きな自衛隊ならではの、発想です。

この当時の作業服の、最大の欠点は、上着の裾を、ズボンの中にたくし込んでいた事で、これは自衛隊誕生当時の、アメリカ陸軍のスタイルに倣った物だと、思うのですが、これで匍匐前進をすると、たちどころにズボンがずり下がり、泥がパンツの中に入り、まるで赤ちゃんのオムツ状態に、なる事でした。

最初の写真でも、すでにやや、ズボンが下がって、オムツに近い姿ですが、これがもっとひどくなります。そんな姿で、自衛隊は数十年間、自分のお尻の様子を気にしながら、訓練を重ねてきたわけで、何よりも極秘事項だったかも、しれない。

そこから、逆に考えてみれば、アメリカ兵は「匍匐前進をしないのではないか?」なんて勘ぐりも出て来ますね。そう云えば、戦史や写真や映像の記憶の中で、アメリカ兵が匍匐前進を続けながら、ジリジリと身体一つで、敵の火点に肉薄する、なんてイメージは、浮かんできません。

今の迷彩服は、裾がズボンの上にくるように、なりましたから、お尻の心配はいりません。格好ってのは、そう云う意味でも、重要なんですね。

2 件のコメント:

fujita さんのコメント...

高い足場をスタスタ歩くとび職の方々。その姿は颯爽としていますが、果たしてこの職人さんたちは「高所恐怖症がそもそも無いからこの職に就いたのか?それとも、この職業について高所恐怖症を克服したのか?」気になります。そして、それ以上に気になるのがニッカポッカ。諸説あると思いますが、「生の声」が聞きたいものです。ウ~ム、気になる。



さて、前置きが長くなりましたが、専門分野の方々が些細なエピソードが大好きなfujitaです。自衛隊の服装考察は「使っていた方の生の声」を堪能させて頂きました。ありがとうございます。



我が家の子供(生後4ヶ月)が這い這いする時期には、陸上自衛隊の方々の匍匐前進の苦悩!?を思い出すかもしれません(笑)

ヤマドリ さんのコメント...

お子さんの這い這いの待ち遠しいfujita様、こんばんは。
コメント有難うございます。

・・・まだ、勝手に続きます。
服飾文化考なんて、ラベルも作りましたし。

次は、現在の迷彩服です。
ミリタリー風味の少ない、服飾文化的な味付けで、お届け致します。

その後は、野良着や民族衣装なんかも、語りたいです。
私はそう云う趣味の、人なんです。