2012年6月21日木曜日

白いドレス

母が、ニヤニヤと笑いながら云うには「もうすぐ金婚式なので、自分が白いドレスを着て家族写真を撮りたいが、この歳で可笑しくなかろうか?笑われまいか?」

それで答えるには、「親のアナタがやりたい事をやらずに、どうして子の私がやりたい事を、出来ようか。もう怖い◯◯(母の養母)は居ないのだから、言い訳にはならないよ。自分がやりたい事なら、人の意見は関係無く、堂々とやれば良い・・・いや、やって見せて下さいな。」

母はきっと、私の答えなど始めからどうでも良かったろうが、それでも「はい、はい、」と聞いて頷いている。で、更に言い訳めいて云うには「私は、今までドレスを一度も着た事が無かったけん、一度くらいは良いやろう。」

以前も書いたが、昔はウチのお宮も結婚式や披露宴で大忙しであった。で、貸衣装もしてたので、空いた部屋の壁には、ウェディングドレスが(カバーをかけて)何着も掛けられて保管されていた。

結婚式の着物やドレスは、当初は母の養母が、後に私の母が買い付けをしていた。衣装選びは難しかったらしいが、他に式場が無かった時代は、どれを選んでもすぐに元が取れたらしい。

私ら家族の住まいはお宮とは別だったが、私が高校3年生頃にお宮の建物に住む事になり、私の部屋はその、ドレスが掛かった空いた部屋になった。なので毎日、青やピンクの怪しい色のウェディングドレスに囲まれて寝起きし、受験勉強をしていた。

私の部屋にあったウェディングドレスは、化繊のゴワゴワした生地で、触るとゴワゴワチクチクした感触に、何だか拍子抜けした物だ。柄も、デザインも、田舎のスナックの壁紙みたいで、正直言って奇麗だとは思わなかったが、中に人が入ると違ったのだろうか。

その頃の私は、宮崎アニメの影響で、中世以降のヨーロッパ衣食住文化への関心が強かった。なので、やはりドレスと云えば、クリノリンで膨らましたシルクのスカートでなければ、いけなかった(当時は)。

それから比べたら、自分の部屋にあるドレスはどれも偽物のような気がして、しかしこれを何人もの新婦さんが着た事を思うと、何とも申し訳なく切ない気持ちに(勝手に)なったものだ。

それで、偽物?のドレスに囲まれて暮らすうちに、近世ヨーロッパの衣装への憧れが勝手に強くなった。ちょうどその頃、市内のデパートで、服飾学校が主催した近世ヨーロッパ女性の下着展が催されていたのを、嬉々として出かけて行った。

会場は、女性の下着売り場の奥の小部屋だったが、本物のヨーロッパ衣装の前には、何ら恥ずかしく思う事も無く、一人で奥へ進んで行った。

そこで始めて本物のコルセットやクリノリン、ドレスなどを見る事が出来て、とても感動した物だった。どれも時代物なので、シルクの色がやや黄ばんでいるのが、時代を感じられて尚更良かった。

私も欲しかったが、どうやって手に入れられる物か、見当がつかなかった。ただ、憧れるだけだった。そんな思いがずっと尾を引いたか、その後、30代の一時期、今度は中国の少数民族の衣装に魅せられて、こちらは随分、手に入れる事が出来たのだった。

建物を建て替えてからは、披露宴会場を無くしたので、もう昔のような忙しさは無い。衣装も出番を無くして、倉庫の中のダンボールに押し込まれたままだ。特殊な物なので古着にも出せない。誰かにあげる訳にもいかない。引き取り手の無い粗大ゴミになってしまった。

そこまで、ドレスに囲まれた生活だった我が家ですが、自分は一度も着た事が無いから、と云った母に、私は少し胸を打たれた。そうか、母も自分が着てみたかったのだな。

母は、馴染みの衣装屋さんに、自分の白いドレスを仕立ててもらう、つもりらしい。約半世紀近く、ドレスと関わって、ようやく始めて自分のドレスを注文する母。良かったねと、云ってあげたいが、着た姿を見たいかと聞かれれば、何とも返事に困るの・・・だった。

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