2011年4月12日火曜日

祖父と面とフキノトウ

 父親の実家は、現在の住まいから、遠く海を隔てた広島県の山の中に、あります。先日、久方ぶりに、その田舎に行って参りました。

子供の頃から、こちらにお邪魔した時は、実家の裏山を少し登った所にある、お墓に行きます。ただし、私とは何の関係もないお墓ですが、この空気感が好きなんです。私はこういう所で土になれたら(私は風にはならん)、この世に産まれて肉体を得た甲斐も、あろうかと常々思う。

でも、関係無い墓なので、他所者は当然入れませんです。突き当たりの正面は今は開けて、明るい墓地ですが、子供の頃は崩れかけた廃屋が建っていて、また違った趣がありました。
 墓で大きく育った栗の木に登って、物思う娘。もちろん、私が登らせて、ポーズをとらせましたんです。
 実家の向かいの、他所んちの田んぼや小山を散策しながら、小鳥を観察して楽しみました。標高が高いので、フキノトウがまだ、畦に生えてました。ので、穫りました。
 これは、本年ヨワイ百歳を迎える、祖父が彫り上げた面で、ございます。祖父は若い頃から、村の神楽で使う面を、見よう見まねで彫り上げてから、今日に至るまで、数限りなく(千個以上)面を彫り上げて来た人ですが、彫った面は皆、人に譲ってますので、手元にはあまり残ってません。

この面は、私がお伺いした日の前日に、百歳を祝う親戚の集まりがありまして、そこで各家族やお世話になった方々に、送られた物です。

私は一日遅れでお伺いして、頂きましたが、百歳の祖父はこの日の為に、1年かけて数十個(細かな数字は聞いてないので良く解りませんが)、この面を彫ったそうです。まぁ、なんというバイタリティで、ございましょう。

ただ、真っ白な肌に、真っ赤な唇の、このオジサンのお面を部屋に飾った所、どうも、夜中に便所に行き辛いような、気配も漂うのが、難点でございます。

もちろん、若い頃の作品は、もっと仕上げも丁寧ですが、眼、鼻、口、アゴのラインというか、彫りの趣は、昔から変わらぬ、祖父の面の表情です。
祖父の、百歳を迎えてなお、野球グローブのような逞しい手と、ひ弱で頼りない私の手と、小さな小人の手。握手してみると、握力も70以上は確実にありそうに、感じられました。

愛媛からでも、瀬戸内の橋で本州と繋がってからは、車で日帰りで通える様に、なりました。昔は片道だけでも、朝出たら、着くのは夜中でした。私の真っ暗の原体験は、その頃の記憶のようです。

穫ったフキノトウは、唐揚げにして、塩かけて、美味しくいただきました。

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