現在日本で、昔ながらの焼き畑を行ってるのは、宮崎県と高知県くらいだったと、思いますが、なかでもこの宮崎県の椎葉村は、生きている焼き畑文化の残る、貴重な地域です。
上の写真は、10年以上前に私が撮った、椎葉村の写真。その頃は、愛媛大学農学部の学生にくっついて、大学の演習林で、焼き畑実習に一般参加してたのですが、一度だけ、椎葉村での実習も参加した事がありました。。なので、今日のテレビは懐かしく、興味深く見てました。
焼き畑は、外国では自然破壊を助長する農法として、現代では捕鯨並みに嫌われている農法ですが、自然のサイクルに組み込まれた、日本古来の焼き畑ならば、むしろ自然とともに生きる事の出来る、最良の農法でもある筈なのです。
また、焼き畑文化は中国〜東南アジアを広くまたぐ共通の、文化要素を多く保有していて、日本の文化的な深層を探るには、稲作文化と並び、とても重要な農耕文化なのです。
もし、日本人が昔の生活に戻りたい、と本気で考えるなら、焼き畑を伴った農耕の復活も、考えて良いくらいです・・・と思う。
写真は、椎葉村で火を入れた所。斜面の一番上、尾根沿いは奇麗に掃除がしてあって、防火帯になってます。今日のテレビでは、火は上から付けてましたが、この写真でも上から付けてますね。そのほうが、火のコントロールがしやすく、煙にまかれにくい。
薪がいっぱいあるのに、ちっとも燃え広がらないのです。一本のタバコで山林火災になる時も有れば、大人数十人がかりで火を付けても、燃え広がらなかったりで、自然は難しいものです。
こちらは、愛媛県内の演習林で、火を付けた時の写真。煙は出てますが、燃え広がりませんでした。この時は、
テレビ観て、思った事には、おそらく、演習林では針葉樹の生木の枝が多かったのが、不完全燃焼の要因だったかもしれない。
焼き畑する、私。藍染めの野良着や、民族衣装、焼き畑農耕文化などに、とても興味を持ってた頃です。そう云う世界で生きられたら良いなぁって、思ってましたが、それはひ弱な私が入れるような世界では、ありません。
今回、テレビに出てた、椎葉村のお婆さん(名前も椎葉さん!)が持ってた、「焼き畑用の小豆の種」など、いつまでも後世に残して頂きたい物ですが、しかし、焼き畑文化自体、もう半世紀もしないうちに、全て廃れてしまうかもしれません。
記録は残っても、種が無くなれば、焼き畑の復活は、相当困難になるでしょうね。
なんだか、珍しく焼き畑が良い意味で、紹介されてて、随分興奮してしまった、日曜の夜でした。
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