熊本県の 阿蘇山です。愛媛県からはフェリー使って、車で約8時間(船の出航待ち次第で前後するが)かかります。
行きは、濃い霧のかかる真夜中の高原の道を走りました。まるで雲の中を飛んでるようでしたが、お陰で道を間違えてしまった。
阿蘇山系の山肌にも、爪で引っ掻いたような土砂崩れの跡が見えますが、これも今回の大雨の仕業でしょうか?
こちらは、明らかにこの度の大雨による、土砂崩れの跡。茶色い筋は皆そう。凸凹に荒々しく削れています。素人目にも、まだまだこれからも崩れそうです。
阿蘇市を囲む外輪山の山肌の多くに、このような爪痕が見られます。当然、その真下の山際の集落は、今も危険な状態で避難勧告が出ており、立ち入り禁止の区域もあるそうだ。
この度の四日間の作業は、どれも個人のお宅での作業でしたから、現場写真は一切なしです。被災状況(現場の景色)は、東北の津波被害を受けた家屋とほぼ同じですし、作業内容や使った道具もほぼ同じです。
映像でお見せできないのは残念ですが、東北と同じくらいですから、相当大変な状況である事は、ご想像下さい。流れてきた水が海水か、雨水かの違い。どちらにしても、時間が経つほどヘドロ化して家が腐ってくる。
今後の対策的な違いとしては、東北の場合は、次に予測される災害が、数年か数十年か単位であるのに対して、阿蘇市(熊本)の場合は、今日明日の大雨で更に被害が重複し、拡大する畏れがある。
ボランティアセンターとして使われている廃校校舎。今回のセンターの立ち上げと運営は、東北での経験が生かされているそうで、システムや流れも昨年東北で経験したのと、ほとんど変わらなかったので、やりやすかった。
阿蘇市滞在中の四日間は、連日の猛暑でしたが、夕方になると山の方で雷が鳴り、必ず雨が降りました。こちらでは普通な事だそうです。
その為、山際の集落では土砂崩れと洪水の二次災害の畏れが大きく、今でも中々ボランティアが入れないそうだ。私達のチームは最終日に、その山際集落にも入って作業しましたが、作業終了時刻の午後3時が来るのと同時に、お約束の雨が降りだし、道具の片付けも放棄して大急ぎで撤収しました。
ベテランのコーディネイターさんからは、雨が降りだしたら急いで撤収するように、指示を受けていたのです。15分くらいの雨で山から泥の鉄砲水が押し寄せて、逃げ場が無くなる場合もある、みたいな事を聞かされていましたので、ともかく急ぎました。
現場での作業前には、自分達の避難経路を確認しておく事は、災害支援ボランティアの基本ではあるけれど、今回はその必要性を少しなりとも、肌身で感じました。
せっかく床下から泥をかき出しても、またすぐに大雨で山から土砂が流れて来るのではないか。そんな印象の現場の状況です。それでも、泥を掻き出す事には意義があるんです。
最後の作業を終えて、逃げるように現場を離れた後の写真。泊まり込みの四日連続の泥出し作業は体力的にも疲れましたが、それよりも衛生的な面で、限界かもしれません。
風呂や洗濯は、宿泊施設の風呂や銭湯、コインランドリーを利用しましたが、汚れが酷く、洗濯物は雨のせいで乾きも悪かったので、メンバー皆、かなり不衛生であったと思います。
持って帰った洗濯物は凄い臭いがして、風呂場で足で踏んで予洗してから、妻は洗濯機に二回かけて洗ったようだ。
帰りは、まだ陽のあるうちに高原を通りましたから、阿蘇の高原らしい景色も見ながら帰れたのが、少し観光気分にもなれた。
よっちゃりました、観光のお約束。観光ぢゃあないけどね。
災害復旧支援のボランティアに出かけると、いろんな事を学べるような、気もします。気もしますが、あまり学ばないでおこうと思います。やはり私は、自分の人生をまっとうするだけで、精一杯です。被災された方々の姿を見るにつれ、強くそう思います。誰だって、自分の事で精一杯だし、精一杯やっても追いつかないのだ。
その代わり、この身体はこれからも時々、何かの為に使ってやりたいと、思います。
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