「あ〜!お母さん、カラダの戻りが上手ね〜!」「フヂちゃんの朝ご飯、すぐ準備するね。」
「コクリコ坂から」でも、主人公の女の子が泣く場面があり、観ていて思わずホロリとなったりした。物語に深みがあれば、喜怒哀楽の表現も難しそうですが、いつ泣くかは、主人公の心が決める事で、周りがそそのかす事では無く、その点映画では自然で良かった。
涙にも色々あるけれど、緊張がほどける時に出て来る涙は、中々止められない。それを「泣くな」というのは、無理な話だ。逆に、緊張の持続がまだ必要な人に、「泣きなさい」というのも、酷な話しだ。
いつ泣くか、泣くか泣かぬか、それを決めるのは、本人の意思であって、とてもとても、プライベートな事に属する、と思う。大袈裟に云えば、生き方そのもの、かもしれない。
「そんなことは・・・」と、途方に暮れながらも、「・・・私が決める事だ。」と、強く思えるような、人間になれたらいいけど、難しいのかな。
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