で、随分前から紹介すると云いながら、長らく無沙汰をしてましたので、これを機会に程度の良いのをご紹介致します。先ずは、中国雲南省のミャオ族のスカートです。
ミャオ族の伝統的なロウケチ染めの、見事なプリーツスカート。これは作られてから一度も、着用されて無いようで、プリーツのしつけ糸が残ったままです。なので余計にプリーツの凄まじさが解る。総面積は見た目以上なので、かなり重たいです。
ロウケチ染めは、熱したロウを、金属のペン先につけて生地に模様を描き、染料で染め上げたあと、熱湯でロウを溶かして、模様をつける技法です。世界中にある技法ですが、ミャオ族の染めは藍染めが基本です。下書き無しで、細かな模様を一気に描き上げていきます。
見て来たような事を書いてますが、テレビで観ました(笑)。柄のデザインには、意味が有るような、無いような、自分たちが馴れ親しんできた、DNAに染み付いた柄を無造作に描いてる感じです。どれも同じ物はありませんが、どれも一目見て、ミャオの柄と解ります。
ミャオ族の得意な刺繍も施されてます。これも下書き無しで進めてるようです。農作業の合間に、立ったまま、歩きながら、お喋りしながら、四六時中女達はこの刺繍の手を休めないようです。
下の黒い所には、豚の脂を塗ってあって、コレを小槌で叩いて生地に馴らし、布を丈夫にするんだそうです。防水効果もあるそうな。ミャオの村に行くと、女達が小槌を叩く音がコンコンと、鳴り響いてるそうで、これは昔懇意にしてもらった、衣装業者の中国人、イさんのお話。
スカートの裏側。刺繍をする方には、この裏のほうが興味深いかも、しれませんね。
凄まじい、プリーツの存在感。このスカートは、民族衣装としてはまだ、大人しい感じですが、私のお気に入りです。自分で履きたいくらいですが、残念ながら、そうはいきません。
もし、来世の出自を選べるなら、私はこのミャオの村の女に、産まれてみたい気もします。ミャオの女性達は、このスカートが普段着で、祭りの時は更に手のこんだ物を着用するようです。が、これでも充分すぎるくらい、手が込んでますね。
ミャオ族は、元々揚子江沿いの平野で農耕を営んでたのが、漢族に追われて、現在の雲南省の山奥の辺境地帯に落ち延びたと、云われています。それゆえ、中国古来の文化や風習を今に伝えていて、日本の文化とも類似点の多い民俗です。容姿も日本人みたいですし、村の姿も、一昔前の日本の農村そのままです。
もしかしたら、我々の祖先と繋がる歴史が、あるかもしれませんが、それにしても、この衣装文化のダイナミズムの差は、何処からくるのでしょうか。
王を頂いたヤマト民族は、国家の庇護を得る代わりに、庶民の服飾から色と装飾が奪われ、王を持たないミャオ族は、異民族の大国に故郷を奪われ、過酷な辺境の地に追いやられながらも、民族のアイデンティティを、自らの身体、つまり、服飾文化で花開かせたのでしょうか。
遊牧民は、家と土地を持たぬ故に、財産は銀や宝石などの装飾品にかえて、身につけてたそうですが、ミャオ族は農耕民ながら、永い流浪の歴史とともに、遊牧民的なダイナミズムを身に付けたのかもしれませんね。
とにかく、このスカート一つでも、自分の生き方を問い正したくもなるような、感動がありました。
遊牧民は、家と土地を持たぬ故に、財産は銀や宝石などの装飾品にかえて、身につけてたそうですが、ミャオ族は農耕民ながら、永い流浪の歴史とともに、遊牧民的なダイナミズムを身に付けたのかもしれませんね。
とにかく、このスカート一つでも、自分の生き方を問い正したくもなるような、感動がありました。
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