2010年12月12日日曜日

貴州省のミャオ族

「ロウケチ染め」で、検索してみれば、「もしかしてロウケツ染めでは?」なんて有難いご指摘が、検索画面に表示されましたが、たぶん、どちらも正解のようですが、ロウケチ表記は少数派みたいだ。ロウケチのほうが、古い云い方かもしれないのですが、今後は一般的な「ロウケツ染め」で、表記します。
 とは云え、今回の衣装は、ロウケツ染めではありません。藍染めと刺繍の組み合わせです。これもミャオ(苗)族のプリーツスカート。

中国のミャオ族でも、一つの省に固まって住んでいる訳でなく、主に雲南省や貴州省を中心とした中国南部(揚子江以南)、それからタイやベトナムとの国境付近の山岳部に住んでいます。同じ民族ながら、タイではミャオ族は、モン族と呼ばれています。まさに、流浪の民族ですね。

で、このスカートのミャオ族は、資料で調べる限りでは、貴州省黄平県に住む黄平ミャオの衣装です。住む地域によって、同じミャオ族でも、刺繍の様子や柄、服の形、銀飾りなどに違いが見られます。ただ、あまり細かい事は、ここではどうでも良い事ですね。

写真のスカートは、先の物とは違って、腰回りを現代風に仕立て直してあります。これは販売の際に、売れ易くする為の加工です。私としては、オリジナルの形が重要なのですが、売る側の都合もあるのでしょう。

これはまだ、ましなほうで、刺繍の所だけ切り取って、飾り布になって売られるのが大半です。衣装の価値でなく、刺繍の価値だけに需要が偏ってるのは、残念です。
 写真がちょっと、ボケてますが、スカートの刺繍が細密なのが、お解りでしょうか。
この金色は、金色にあらず。驚くべき事に、濃縮された藍色が金色に光って見えるのです!
濃い墨汁など、金色に光って見える時がありますが、ああいう感じだと思います。
その証拠に、この衣装を触ると、指先が藍色に染まって、青紫になります。中国の藍と日本の藍は、組成が幾分違うようで、中国のほうが野性的です。
こちらは、同じ黄平ミャオの上着を背中から見た所。ミャオ族に限らず、古今東西の民族衣装は、背中に多く刺繍が施されていますが、縫製の関係でしょうね。前見頃は両側に開くので、刺繍がしにくいけれど、後ろは繋がった生地が広いキャンバスになります。
刺繍のアップ。これを、何の参考図案も無く、歩きながら、お喋りしながら、ただ黙々と刺繍して行くのです。これが驚愕せずに、いられましょうか!しかも、特別な刺繍作家という訳でもなく、村の女性はほぼ、皆がこういった刺繍をするようです。
上着の正面。生涯に何着か、こういった着物を各自作っていくそうです。これはたぶん、お祭りの時に着る衣装と思いますが、一番手間を掛けたのが、自分の花嫁衣装になったり、親になっては、子供の衣装を作ったりと、一生刺繍と共に生き続けるようです。

或は、刺繍の所だけほどいて、新しく縫製し直す事もあるようで、親から子へ伝える刺繍も有る事でしょう。その為か、刺繍以外の部分の生地の安っぽさが、妙にアンバランスに思えますが、ミャオの人達からすれば、違和感は無いのでしょうし、むしろそういう所が、刺繍の凄さの割に、嫌らしい派手さを感じない要因かもしれません。

2010年12月10日金曜日

ミャオ!ミャオ!ミャオ!

随分前から書いてますが、私は中国少数民族の民族衣装が大好きで、幾つか買い集めてましたが、とある筋の方から、展示用に貸し出し依頼がございましたので、久し振りにケースから取り出してみました。

で、随分前から紹介すると云いながら、長らく無沙汰をしてましたので、これを機会に程度の良いのをご紹介致します。先ずは、中国雲南省のミャオ族のスカートです。
 ミャオ族の伝統的なロウケチ染めの、見事なプリーツスカート。これは作られてから一度も、着用されて無いようで、プリーツのしつけ糸が残ったままです。なので余計にプリーツの凄まじさが解る。総面積は見た目以上なので、かなり重たいです。
 ロウケチ染めは、熱したロウを、金属のペン先につけて生地に模様を描き、染料で染め上げたあと、熱湯でロウを溶かして、模様をつける技法です。世界中にある技法ですが、ミャオ族の染めは藍染めが基本です。下書き無しで、細かな模様を一気に描き上げていきます。

見て来たような事を書いてますが、テレビで観ました(笑)。柄のデザインには、意味が有るような、無いような、自分たちが馴れ親しんできた、DNAに染み付いた柄を無造作に描いてる感じです。どれも同じ物はありませんが、どれも一目見て、ミャオの柄と解ります。
 ミャオ族の得意な刺繍も施されてます。これも下書き無しで進めてるようです。農作業の合間に、立ったまま、歩きながら、お喋りしながら、四六時中女達はこの刺繍の手を休めないようです。

下の黒い所には、豚の脂を塗ってあって、コレを小槌で叩いて生地に馴らし、布を丈夫にするんだそうです。防水効果もあるそうな。ミャオの村に行くと、女達が小槌を叩く音がコンコンと、鳴り響いてるそうで、これは昔懇意にしてもらった、衣装業者の中国人、イさんのお話。
 スカートの裏側。刺繍をする方には、この裏のほうが興味深いかも、しれませんね。
凄まじい、プリーツの存在感。このスカートは、民族衣装としてはまだ、大人しい感じですが、私のお気に入りです。自分で履きたいくらいですが、残念ながら、そうはいきません。

もし、来世の出自を選べるなら、私はこのミャオの村の女に、産まれてみたい気もします。ミャオの女性達は、このスカートが普段着で、祭りの時は更に手のこんだ物を着用するようです。が、これでも充分すぎるくらい、手が込んでますね。

ミャオ族は、元々揚子江沿いの平野で農耕を営んでたのが、漢族に追われて、現在の雲南省の山奥の辺境地帯に落ち延びたと、云われています。それゆえ、中国古来の文化や風習を今に伝えていて、日本の文化とも類似点の多い民俗です。容姿も日本人みたいですし、村の姿も、一昔前の日本の農村そのままです。

もしかしたら、我々の祖先と繋がる歴史が、あるかもしれませんが、それにしても、この衣装文化のダイナミズムの差は、何処からくるのでしょうか。

王を頂いたヤマト民族は、国家の庇護を得る代わりに、庶民の服飾から色と装飾が奪われ、王を持たないミャオ族は、異民族の大国に故郷を奪われ、過酷な辺境の地に追いやられながらも、民族のアイデンティティを、自らの身体、つまり、服飾文化で花開かせたのでしょうか。

遊牧民は、家と土地を持たぬ故に、財産は銀や宝石などの装飾品にかえて、身につけてたそうですが、ミャオ族は農耕民ながら、永い流浪の歴史とともに、遊牧民的なダイナミズムを身に付けたのかもしれませんね。

とにかく、このスカート一つでも、自分の生き方を問い正したくもなるような、感動がありました。

パッケージ

昔、家具みたいな物も作ってた頃に使ってました、自作のクランプ。ポプラの集成材の角材使ってます。構造は、ご覧の通りの物です。こんな物でも、こんな物なりの工作が出来て、無いよりマシでした。

ようよう、パイプクランプなども揃えた頃には、玩具製作に心と機械がシフトされて、出番が無くなってしまいました。いつかまた、余裕も出来れば、家具みたいな物も作りたいです。で、これはもう役目を終えて、簡易な棚を作る材料になりました。

ネコ車のパッケージを、どうしようかってんで、先日休みを頂いた時に、妻の行きつけの?パッケージ素材屋さんに、連れて行ってもらいました。こういうのって、考えるのは嫌いでは有りませんが、何分素人故の気後れみたいな物があって、中々前に進みません。

考え出すと、他の事が疎かになるのが困ります。商品ももう少し作りたいし、新作の玩具も考えたいし。何気に、妻が助けてくれてて、何とか少しずつ、前に進んでますが、人に助けを乞うのが下手で嫌いな性分ですので、自分一人でしようとして行き詰まる事も多いのが、自分の最大の欠点の一つと認識してますが、どうにも変わりません。

取り敢えず、既存の規格サイズのパッケージにしました。そろそろ他の商品の梱包材も、決めねばなりません。箱だけでなく、シールなんかもオリジナルの物が、必要ですが、さてどこでどう頼めば良いのやら。商品説明のカードも欲しいし。

今は必要な絶対数が少ないので、自分でプリントしたり、消しゴムハンコで印刷したりで、事足りますが、ならばとて、デザインも改めて考えないといけませんね。やらねばならぬ事が、一杯あります。

2010年11月17日水曜日

野外炊事訓練

日夜、本業に隠れて「絵本玩具」の研究に勤しむ、「ヤマドリ警備隊」ですが、今日は隊員揃って「野外炊飯訓練」を、秘密裏に実施致しました。場所は久万高原町にございます、秘密のヤマドリ演習場。

車輌で移動、陣地進入した後は、炊飯陣地の構築です。写真は、防寒外套一型を着用した隊員Aによる、炊飯陣地資材搬入中の場面。教範通りの見事な搬入姿勢をご覧下さい。
 次に、携帯円匙(エンピ)での、炊事壕の構築。掘開部をエンピの先で田の字に切り込み、これを経始線として、ブロック毎に底からすくい上げていきます。ブロックは元の順番通り、壕の左脇3メートルの位置に保管します。
 壕を掘ったらば、堀土を前面に積み上げて築堤し、余分な風の侵入を防ぐ。左右には丸太を配して托架とし、飯盒用渡し木(竹)を托す。(以上、ヤマドリ露営教範 第3節 飯盒炊事より)

当陣地に於いては、風向きは陣地に対して、前後に不規則に変化するため、風の上下は左程配慮しないのが、通例である。写真は、防寒外套二型(簡易式)を着用して、火力調整を行う隊員Aと、調理長。
 この自衛隊飯盒は、3合炊きです。蓋にフックが付いていて、吹きこぼれで蓋が開くのを防ぎますが、実際は、蓋を皿代わりに使用する際の、取っ手の役目で使います。自衛隊の訓練で飯盒炊飯する事は、ほとんどありません。飯盒は主に、食器として使われてます。

戦闘中に、呑気に飯盒で飯を炊く時代は、もうとっくの昔に過ぎ去ってます。旧軍はその点、大変な苦労をしたようで、煙を出さないように、地下式の炊事壕なんて物も作られてたようで、穴掘り作業も大変だったでしょうが、それより一番問題なのが、燃料の調達だったでしょう。

日本軍の駐屯した後は、何も残らないなんて、云われたのも、燃料確保の為にそこら中の木質材料(家の戸とかテーブルとか)を、薪にしたせいも、あったようです。
 蒸気の煙が、焦げの煙に変わる前に、飯盒を取り上げます。このタイミングが難しいかもしれませんね。いつも勘で済ませますが、今回も上手く行きました。ふっくら炊けて、底にうっすらお焦げも出来ました。

飯盒炊飯で一番肝心なのは、実は、炊き上げる前の段階、お米をしっかり水に浸けておく事です。飯盒のときは数時間前(出掛ける前)からでも構いませんし、時間が長過ぎて困る事は、ありません。一晩浸けておいて、朝水切りしてタッパーに入れて、保冷剤と一緒にクーラーに入れて、現場で再び水を入れると、手間が無いです。
オカズは、炭を使ってバーベキューしました。これはまぁ、普通ですね。
焚き火も済んだら、原状復帰して帰ります。保管しておいた表土のブロックを被せて、落ち葉なんかもかけてやると、ここで焚き火した事も解りません。紅葉がちょっと、わざとらしかったけど。

焚き火跡は、中々自然の姿には返らないですから、ここまでしなくても、黒い炭なんかは持って帰って、ゴミで出すのが良いと思いますよ。手間だけど、始めにすこ〜しなりとも、土を掘ってから焚き火をしたほうが、灰や小さな炭を埋める事も、出来ますね。
娘が見付けたキノコ。これは何とかタケといって、食べられるんよ〜なんて、云ってましたが、もちろん食べませんでした。知識だけは持ってる娘。

他にも色んなキノコを見付けましたが、ホコリタケがいっぱい生えてて、小さな巾着みたいなのを踏むと、ブワッと胞子がホコリみたいに吹き出して、楽しいのを、隊員総出で行いました。隊員Aは、今回の訓練でこれが一番「楽しかった」そうです。

2010年11月15日月曜日

夜間陣地潜入訓練

さあ、いよいよ塗装です。ホルベインのカラーインキで、筆塗りです。さっさと色を決めながら塗らないと、時間が足りませんが、これが中々・・・。
もう夕方も6時前には、すっかり暗くなって来ましたが、今日はそんな暗がりの中、娘と城山に登りましたが、明かりのある、整備された登山道を外れて、薮中の裏道を通りました。

私の家庭の日常は、とても平凡な日々の繰り返しなので、娘も最近は生活に緩みが生じてるような、感じがしてましたので、ちょっと日常に、緊張を入れてやろうと、思い付いた訳です。

もっとも、急に裏道に入ると告げても、素直にヒョイヒョイ付いて来る娘。やせ我慢もあるでしょうし、好奇心もあるでしょうし、何より父さんは自衛隊に行ってたんだから、一緒に居れば、こんなの平気に違いないって、思い込みがあるに違いない、と、私はふんだ訳ですが、後で聞いたら、その通りな感じでした。

でも私は些か緊張は、してました。真っ暗な山中、何があるか、何が出るか、解りませんから、それなりの覚悟はしておかないと。娘の勝手な思い込みを利用すれば、怖い空気も薄らぐんじゃないかな。だから取り敢えず、私が落ち着いたフリをしてないと。

しかし、いよいよ真っ暗になると、途中、道に迷ってしまいました。ある筈の曲がり道が、解らない。ボンヤリ見える、道らしき影に近付くと、薮にぶつかるので、ここは違うって、解るけど、じゃあ、何処?

仕方ないので、四つん這いになって道を探りました。道は落ち葉の様子や土の固さ、色などが違うので、たどって行けば、道の続きに進める筈。格好良い姿ではないけれど、格好を気にしてたら前に進めませ〜んっていう、実践ですね。

で、娘はその辺から緊張した様子で、「自衛隊でも、そうするん?」なんて、聞いてくるので、「仕掛け爆弾が有る時は、こうするね。」なんて、のどかな親子の会話を交わすうちに、ようよう、目的の曲がり道を見つけました。

眼をつぶっても、通れるかなぁなんて、思ってた裏道でしたが、実際真っ暗になると、解らない物で、私も緊張しましたが、それなりに楽しかったです。娘も、そうだったようで、またやってみようと思います。

2010年11月2日火曜日

カメラを知らんかね?

さて、連隊本部に呼び戻されて、叱責を受けると思いきや、連隊長はいたくご機嫌で、「敵の航空作戦を良く攪乱した功績」とかで、賞与(ピーナッツ)と昇進(上等兵)が与えられたそうな。

もちろん、本来の任務行動を逸脱していた事は、誉められた事ではなかったけれど、連隊長には、親方の能力を知るにつけ、更に高度な軍務に就かせてみようと云う、腹づもりがあったようだ。

当時、親方の所属する連隊は、師団作戦の第一線部隊として、敵築城陣地に対して攻撃前進の命令を受けたばかりであったけれど、未だ敵陣地縦深の詳細な情報を得らずに、焦っていた所であったらしい。それで、連隊長は急遽、ルル親方を本部に呼び戻し、敵陣地の詳細な航空偵察写真を撮らせようと、考えた訳です。

それで、何度か危険な偵察飛行をこなした親方でしたが、その時に使った軍の航空写真機が重たくて、思うように飛べないのが不満だったらしく、早速、自分で新しい航空写真機を、作り上げてしまったそうです。

部品材料は、部隊の資材置き場や、将校用の私物行李の中に入ってた、機械製品、それと、何処にあったのか、当時最新型の小型写真機など、部隊の中で全部調達してしまったそうなのが、ある意味、親方の凄い所です。

・・・続く。

2010年10月26日火曜日

注意されたし

ルル親方の飛行任務は、部隊の通信文を、確実に輸送する事にあったので、任務途中に敵航空機と接触する事は、自ら努めて、これを避けねばならない。だけれど、親方は生まれついてのイタズラ好きであった事を、連隊長以下、部隊の人間は把握していなかった。

2〜3回目くらいまでの、飛行のときは、親方も真面目に飛行任務をこなしたようですが、段々馴れてくると、生来のトリの気性も芽生えて来たのか、指定されていた飛行経路も勝手に離れて、敵の航空機を探すようになったらしい。

この当時の航空機は、未だ黎明期にあって、飛行速度や旋回性能など、親方のトリとしての飛行能力にはまだ、及ばなかったから、人間の乗った航空機など、例え戦闘機であっても、親方の敵では無かった。

なので、始めは追いかけっこでからかって、気が済んでた親方のイタズラも、だんだんエスカレートしてくると、ノロマな飛行機の翼に乗って、揺さぶってみたり、かじってみたり、飛行士めがけてウンチを落としたり、飛行士の航空眼鏡をかすめ取ったり、と、任務をほったらかして、好き放題な事を続けていたようだ。

もっとも、通信文は所定の部隊に、ちゃんと届けていたので、親方のイタズラは、同じ航空隊でも仲の良い、一部の飛行士しか知らなかったのだけど、意外な所から、素行がバレてしまう事になる。

敵の航空部隊から傍受した、通信電文の中に、「腹にカバンを抱えた大きなトリが、我が航空機に対し、飛行妨害活動を行っているようなので、各部隊は注意されたし」という一文があったため、航空隊本部のみならず、連隊長にまで知られる事となってしまった。

そこで、ルル親方は急遽、連隊本部に呼び戻される事となり、皆は、親方もとうとう、軍務を解かれると思ったのですが・・・以下、次号。

2010年10月23日土曜日

ちゃんと返せよ!

ところで、連隊が作戦行動を開始すると、連隊長も流石にルル親方の相手をしている暇も無く、むしろ鳥の手(翼)も借りたい程の忙しさともなれば、親方の飛行能力に眼をつけない筈も無い。

で、親方には、伝書鳥の任務が与えられた。そこで、正式に軍務に就く以上、兵隊として扱わねばならぬとて、いきなり一等兵の階級を与えられたそうだ。一等兵と云っても、下から二番目くらいの兵卒にすぎないけれど、軍から階級を与えられたトリは、たぶんルル親方が始めてではなかろうか。

重要書類を持って、飛行任務に就くなら、通常は将校以上でないとイケナイんだけれど、連隊長の肝煎りとあって、誰も文句は云わなかったらしいし、何せ親方はトリだから、軍も大目に見てくれたのかもしれない。

運搬中に脱落しないようにと、紐の沢山付いた特製の極秘書類カバンが、どうにも邪魔だったらしいが、これは外す訳にはいかない。それでも、ルル親方には任務に就く際の楽しみが、一つあった。

航空機部品の調達で、航空隊にちゃっかり貸しを作ってた親方は、仲良くなった操縦士から、航空眼鏡を借りて飛んでいたのだけれど、これがルル親方の、大のお気に入りだったらしい。

もともと、親方には必要無い物だけど、本人はこれがイケテルと、思ってたようだ。

親方の、飛行任務中の冒険談は、次回。

2010年10月21日木曜日

ゆずってくれんかね?

ルル親方が部隊に入ったきっかけは、当時の連隊長が、駐留先のとある街の定食屋で、調理師をしていた親方に、強い興味を持ったようで、自分の部隊で飯を作らせようと、店主に無理強いして買い取ったのが、始まりらしい。

連隊長は、ルル親方を自分の調理当番として、飯を作らせた他にも、普段から自分の身近に置いて、何かと用事をさせたり、話し相手にしていたというので、余程親方を気に入ってたに違いないが、親方は調理の他にも、掃除、洗濯、修繕、大工仕事など、何でもこなせたので、連隊長でなくても親方に一目置く人間は、多かった。

親方は元々、人間の言葉を、それも5カ国語を話せたらしいけれど、親方の言葉の語尾に、やたらと「〜かね」が付くのは、その頃の連隊長の口癖が移ったようだ。

・・・まだまだ続く。

2010年10月19日火曜日

ミシンは使えるかね?

そうですね・・・私がルル親方と始めて出逢ったのは、もう20年近く前の軍隊生活時代、配属された連隊本部付の、野戦通信小隊に着任したばかりの時の、事でした。

その頃既に、小隊で古参の兵長だった親方は、伝書鳥の職種ながらも、器用な腕(翼?)を買われて、部隊でのよろず仕事を受け持っていたのですが、私が小隊に着いた時は、親方は自作の手回しミシンを使っての、縫製作業中でした。
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ところでこちらは、松山市一番の繁華街、大街道にございます、ヒロヤ画廊さんのお店で、ございます。
入り口前には、観葉植物が植えられていて、小さなオアシスになっております。その緑の回廊を通って、店内に入りますと、
こんな具合に、ワタクシの玩具が展示、販売されてます、小さなブースがございます。この陳列棚も、私の玩具の形に合わせた、特注品でございます(上から見ると、私の車の形になってる)。有難い事です。

色々ご紹介もせねば、なりませんが、もう眠いし、朝は忙しいので、今日はこれでおしまい。

2010年10月16日土曜日

宿題は、済んだのかね?

どんどんと、日が過ぎて行ってしまいますが、木曜日は休みを頂いて、午前中ずっと、寝ました。昼からは娘が半ドンで帰って来ましたので、久し振りにスケートへ行きました。

私は、スケートが特別好きって事でも無いんですが、緩めた身体の使い方を試すのには、ちょうど良いスポーツですし、娘と手軽に出来るってことも、有難いです。

娘も、スケートが特別好きって事でも無いんですが、父さんが買ってくれるオヤツを食べるには、ちょうど良いスポーツなので、付いて来てくれるようです。
10月で平日の午後のスケートリンクは、このように貸し切り状態で、ございました。一面にかかる霧で、目の前が真っ白です。

流石に私達のような、普通の客は他に居なくて、マイシューズを履いた、常連さんの親子連ればかりでしたが、私の目の前を、これ見よがしに滑る小さい子供達の、身体の柔らかくて軽くて、素早いのには、感心致します。(というより、憎たらしい。)

子供の後ろを、動きを真似して滑ってみたりもしますが、怖いですね。娘はいつの間にか、後ろ滑りをマスターしたようです。基本的には、写真で見ても解りますが、娘の滑りは腰の緊張がまだ、残ったままの滑りです。でも、私よりは上手に早く滑ります。

もっと回数こなせば、娘の滑りも美しくなるのではないかと、思いますが、何せお高うございます、利用料。映画観るのと変わりませんから、そうそうも行けません、ですらい。(ルル親方は、シューズの利用料金が要らないので、少し安い。それにトリだし。)
スケートセンターのキャラクターと、お約束の握手。このキャラクターは、どうやらペンギンらしいんですが、ここまでくると、もう何でも良いような気もしますね。

呑気な感じの木曜日でしたが、今日の土曜日からは、私も良く把握しないまま、絵本玩具作家デビューを果たしている筈で、ございますが、詳しくはまた、後ほど。

2010年10月14日木曜日

これでどうかね?

黒檀の目玉を一度に40個、作りました。数作るのも、だいぶん馴れてきて、苦じゃありません。削る時に、テーパーかけてやるので、多少のサイズ違いも支障にはなりません。

それにしても、ルル親方の仕事は見事なもので、クチバシで削る親方の目玉のサイズは、誤差0.数ミリ単位で仕上がります。
黒檀をベルトサンダーで削ると、ベルトに黒檀のカスがベットリ張り付いて、取れません。(写真左)黒檀は硬い材ですが、削ってみるとこのように、油脂成分らしき物が粘着剤のようにくっつきます。

ベルトが直ぐに駄目になりやすく、作業効率も落ちて、何ら良い事はありませんが、削らない訳にはいかないので、幾らかの対策はたててます。

其の1、成るべくこまめに、クリーニング棒で、クリーニングしてやる事。削りカスが、削りカスを更に癒着させますので、一作業毎に、クリーニングします。

其の2、材を強く押し付けない事。癒着を減らすには、切削屑を効率良く排出する事が、大事ですので、材は成るべく軽く当てて、排出の隙間を残してやります。

これくらいの事しか、してませんが、少しは違うように、思います。

2010年10月10日日曜日

遊ばんのかね?

店舗販売に向けて、イメージイラストも追加して、数点描く事になりました。作って描いてでは、とても身体が足りませんですらい。

店舗のほうの準備は、有難くも順調に遅れているようなので、まぁ、丁度良かったんですが、どちらにしても、何にしても、準備期間がとても短い中に、色々詰め込んだ物だから、もう何が何だかわかりません。

先方には申し訳ないんですが、私の方はもう、始めから間に合わせようなんて、思ってはいませんが、全力を尽くす事だけは、お約束致しましたので、全力を尽くしてるつもりになってます。

2010年10月4日月曜日

やっとるかね!

この、窓からいきなり入って来たトリは、私の玩具作りの師匠、ルル親方です。久し振りに尋ねて来てくれました。

丁度、悩んでた所ですので、色々相談してみます。以下、次号に続く。

2010年10月1日金曜日

里芋の葉のミズミズ

毎日、何時間も一人で籠って作業してますが、全く孤独を感じる事も無く、時間があっという間に過ぎて行く感じです。

元々、独り作業は馴れていて、むしろそちらのほうが、私には自然なんですが、これが集団の中に入る程に、孤独を感じるのは、面白いですね。

孤独と云うのは、ある人にとっては相対的な物で、一人が寂しいのではなくて、一人で居る事が許されない事に、不安を感じる淋しさ、みたいな物もある と思う。

逆に、一人で居る事に、一々不自然さを感じない相手なら、いつまでも一緒に居たいと思えたりするので、自分は全く一人を望んでいる訳ではない、というのも解る。

もっとも、こういった微妙な心具合は、世間や集団生活の中では、かき消されるのがオチなので、違う自分も持っていないと、上手く社会生活を営めないのも、事実ですね。

学生時代の寮生活などとは違って、仕事が絡んだ共同生活では、目の前の仕事を如何に支障なく、こなせるかという事が全てで、個人の心具合の入る余地のない事は、全くその通りなので、ございます。

主に集団に生きる人と、主に個を生きる人、2つの世界観は相当に開きのあるように、思えます。一つの真実や価値観では、世の中は収まらないのも、頷けます。
今日の私の個の仕事。自作のドラムサンダーを活躍させました。黄色いペーパーは、試供品で頂いた、シア社の物。砥粒がしっかりしてる感じで、長持ちしそうな感じ・・・あくまでも、感じ。このドラムサンダーには、向いてるかもしれない。
ベランダの里芋です。自作の花壇にプランター載せて、頭より上に葉っぱがくるようにしてます。毎年こうやって、里芋の葉っぱのトンネル作るのが、私の趣味です。

すっかり小人の気分ですね。この夏は猛暑とあって、何となく葉っぱが小型でイライラした感じです。例年はもう少し、葉っぱが広く大きく、ミズミズした様子なんですが。

10月も終わり頃には、子芋の収穫が出来ます。採れたては美味しいですね。特に小さいほうが、美味しいです。

私は、植物は花より、葉っぱのほうが、好きなんです。花は咲かなくても構いませんが、咲けば咲いたで、嬉しいですね。花なら、観賞用の花より、ジャガイモの花なんかのほうが、好きだったりする。

どうでも良い事でした!

2010年9月29日水曜日

耳元で唸る死神の鎌

この数日間、玩具製作からやや、脱線して、機械工作に熱中してしまいました。本当は、あと数種類作らないとイケナイんですが、気分転換って事で、お許し下さい。

作ってた機械はコレです。
溝切りカッターテーブルです。ハードメイプルに、黒檀やカリンの板を埋め込む溝を掘る、機械です。トリマー/ルーターテーブルでも出来ますが、硬い広葉樹での作業は負荷が大き過ぎると、感じましたので、その下削り作業を、溝切りカッターで行う算段です。

本格的な、大きなテーブルソウなら、溝切り用のカッターを取り付けられますが、私の持ってるテーブルソウでは出来ませんし、扱う部材が小さい物が多いので、こういうコンパクトな物のほうが、都合がいいです。
動力は、マキタの小型溝切りカッタ。刃物は15ミリ幅まで削れる自在カッタを付けてます。
振り子の原理で、チップソウを振らして削るので、底面はやや、丸くなるのが残念ですね。なので、トリマーで仕上げが必要です。

或は、仕上げカッタを使ってもいいですが、実際に装着してまわしてみると、音と様子が恐ろしくて、使う気になれませんでした。10ミリ以下なら何とか、我慢出来るかなぁ。15ミリは駄目ですね。死神の振り回す大鎌が、耳元でブーンと唸ってるような、音です。
15ミリ幅の刃口。自在カッタでも、15ミリで回すと、中々恐ろしいものです。振動もかなり発生し、音も大きいですから、本来なら大型で重量のある構造が、望ましいですね。

私の作業場では、このサイズが精一杯です。最初の写真で写ってますが、せめて重量出すのにと、ブロックを置いてます。テーブル裏には、防振用の鉛テープも貼りましたが、これは気休め程度でしょうか。

しかし、振動と騒音を軽減するのは、作業のストレス軽減に大きな効果があり、結果、作業効率が上がりますから、何でもやっておいたほうが、いいです。

まだフェンスは出来てませんが、仮のフェンスをクランプ止めして、試し削りしたところ、音はともかく、切削抵抗がほとんど感じられないまま、溝が掘れました。これは、トリマー/ルーターテーブルでの作業では味わえなかった、感覚です。

それだけでも、この種の機械の存在価値があると、感じました。

2010年9月28日火曜日

クマザサ服飾考

別に、今の外交問題にリンクさせるつもりでは、ありませんが、私が体験した自衛隊の、ゆるい話題を一席。
今から20年近く前の写真。埼玉県は朝霞の駐屯地での、観閲式典参加中のショット。上空に空挺隊員の自由降下中の姿が見えます。

今はもう、ほとんど見られない、旧タイプの迷彩作業服。戦闘服ではありませんよ、作業服ですよ。通称「クマザサ迷彩」と云われたくらいですから、クマザサの生い茂った環境での活動を前提に、デザインされたんです。つまり、北海道ですね。

これを、南北に長い日本の、全ての自衛官が着たんです。なので、南の部隊が、ご当地の山中で演習をする と、クマザサの無い環境では、大変良く目立ちました。(泣)

それでも皆が着たのは、有事の想定地域が、北海道に限られていた、時代だったからですね。南の部隊も、何年かに一度は必ず、北海道まで移動して、訓練を行ってました。
これは、先の写真の前日、予行演習の時の写真。同じ人物を撮ってますが、この日に着ているのは、ただの作業服。何故、予行演習でも迷彩服を着ないかと云えば、迷彩服の官品が1着しか、支給されないからです。公の行事には、官品の迷彩服でないと、いけません。

で、これを数日前から、アイロンかけて、形を整えてるもんだから、当日以外に着る訳にはいかないって、事ですね。対して、ヘルメットカバーは、すぐシワになるって物でもないので、付けたままなんです。

じゃあ、私物の迷彩服、作業服って、どう違うの?って、事ですが、私物の作業服は、駐屯地内の売店で、各個に購入しますが、民生品なので、官品とは少し、生地やら色身、作りが違うんです。普段の作業は私物を着て、官品は成る可く着ないようにするってのが、ベテラン自衛官の悲しい心掛けって、もんです。
これは、松山市の駐屯地祭でのショット。15年くらい前かな。まだまだ、地方の部隊では依然として、クマザサ迷彩でした。蒼々とした芝に対して、クマザサな柄がとても目立って、私はここに居るよと、自己主張してます。

ベルトやサスペンダーは、木綿の織布。ケース類は帆布に防水のゴム引きした物を、使ってました。トラックの荷台カバーみたいなやつですね。個人的には好きな素材です。

ヘルメットの網に結わえてある偽装は、古い落下傘の布を裂いたもので、リサイクル好きな自衛隊ならではの、発想です。

この当時の作業服の、最大の欠点は、上着の裾を、ズボンの中にたくし込んでいた事で、これは自衛隊誕生当時の、アメリカ陸軍のスタイルに倣った物だと、思うのですが、これで匍匐前進をすると、たちどころにズボンがずり下がり、泥がパンツの中に入り、まるで赤ちゃんのオムツ状態に、なる事でした。

最初の写真でも、すでにやや、ズボンが下がって、オムツに近い姿ですが、これがもっとひどくなります。そんな姿で、自衛隊は数十年間、自分のお尻の様子を気にしながら、訓練を重ねてきたわけで、何よりも極秘事項だったかも、しれない。

そこから、逆に考えてみれば、アメリカ兵は「匍匐前進をしないのではないか?」なんて勘ぐりも出て来ますね。そう云えば、戦史や写真や映像の記憶の中で、アメリカ兵が匍匐前進を続けながら、ジリジリと身体一つで、敵の火点に肉薄する、なんてイメージは、浮かんできません。

今の迷彩服は、裾がズボンの上にくるように、なりましたから、お尻の心配はいりません。格好ってのは、そう云う意味でも、重要なんですね。

2010年9月21日火曜日

パッド付き

たぶん、10年以上前から、陸自の個人装具が、盛んにモデルチェンジされてきてますが、背嚢だのサスペンダーだの、銃の負い紐に至るまで、色んな装具にスポンジパッドが付くように、なりました。

陸自は米軍の装備の影響受け易いので、その為かもしれませんが、これが私には、有り難迷惑な配慮でした。アメリカ人のような大柄な人には、良いかもしれませんが、細身な私には、身体中に座布団くっ付けてるみたいで、うっとおしいったら、ありゃしない。

それで、サスペンダーの肩の所に、分厚いパッドが付いてるもんだから、銃を肩付けに構えると、パッドが邪魔して、しっかり固定出来なかったりする。なので、射撃検定の時は、パッドをわざわざずらして、肩付けに構えないといけない。

じゃあ、戦闘の時は、どうすりゃいいんだろ。パッドの位置が気になって、戦闘どころではないけれど、もう私にはその心配は、要らなくなったから、どうでもいいか。

これがまた、民間のバックパックにも飛び火して、どれもコレも、肩やら腰やらが、モコモコしててうっとおしい。何でもかんでも、パッドを付ければ良いってものでは、ありません!
・・・と、云いながら、私は機械に、スポンジパッドを付けてしまいました。手前のと、奥の緑の機械の角に付いてるのが、それです。
ここに、自分のオデコを当てて、やや体重かけて使います。そうすると、首や肩が楽ですし、加工材に対して楽に、眼を近づけたまま、作業が出来るんです。もはや人馬一体ならぬ、人機一体ですね。

構造が共産圏の戦車帽のパッドみたいです。すぐ兵器の話題になって申し訳ないですが。

戦車の中は狭く、おまけに金属部品で一杯なので、戦車帽のクッションは無くてはならないのですが、あれはもう一つ、理由があって、車内はエンジン騒音でウルサイので、車長からドライバーへの指示(指導)は、頭部への蹴りで代用される事が多いそうな。(本当)

なので、車長の蹴りから、ドライバーの頭部を保護する為の、クッションですが、西側諸国の戦車帽が硬質なプラスチックが使われてたのに対して、東側の戦車帽がクッション付の革製が多いのは、西側の戦車長の靴のほうが丈夫だったから・・・なんて話しは、ウソです。

2010年9月16日木曜日

テーパーテーブル

上のイラストは、ベルトサンダーで垂直に材を研削する時、削り終わりの部分ほど、研削カスが邪魔をして、垂直に材を削れない、の図です。極端に描いてますが、こんな感じだと思いますんです。
それで、テーブルを僅かに、斜めにしてやれば、真っすぐ削れるんではないかと、思います。
或は、更にテーブルを傾けて、材に逆のテーパーをかけて、コルク栓のようにすれば、埋め込み易く、密着し易かろうと、考えましたが、こんな事は当たり前でした。始めから考慮に入れてない私が、イケマセンでした。
なので、早速こんな治具を作りました。名付けてテーパーテーブル。テーパーテーブルの下は、テーパーの付いた下駄を付けてますので、手前に向かって、僅かに傾いているんです。角度は2〜3度くらいでしょうか。

右端に付いてる黒いのは、作業する右手の滑り止めです。ちょっと、テーブルが小さくて、載せる右手が滑ってしまうので、こんな物も付けました。
こんな感じで、少し傾いてます。これでケヒキ線に沿って円形を研削成型してみると、同径の穴に、軽くピッタリ収まりました。良かった良かった。

もうこれで、怖い物は、無いぞ。