2011年10月31日月曜日

ヤマドリ訓練夜話

昨晩、雨の山を歩きながら、「滑り易いから気を付けて」と娘に云うと、「縁起が悪い」なんて云うので、何の事かと一瞬思ったが、ああ、受験の事ね。

この子も、そんな事が気になるほどに、一人前に緊張してるのか?

「それならば、お父さんが合格祈願の、お祀りしてあげようか?」って聞くと、どっちでも良いような、して欲しいような、「うん」と云う。

「でも、お金は払って頂かないと、困りますなぁ、お客さん。」「お金さえ頂ければ、どんな願い事でも、ご祈念してさしあげますよ、エッヘッヘ。」って、大人らしいセリフを言うと、「私、お金持ってないじゃん。」って、反論されて、そう云えばそうだ。

娘には、生まれてこのかた、月々のお小遣いを渡した事がない。本人自身、そういう物の必要性が少ない性格のせいも、ある。

親子で本屋や雑貨屋などに行く時は、ある程度、好きな物を買って良い事にしているし、お金のかかる趣味もないので、本人はあまり困ってないようだ。

或は、小遣いくれと云う事の、リスクを取るより、云わない事の親への心証の良さを、選んでいるのかもしれない。表面的な事象のみで、子の性格を良いほうに判断するのは、浅はかではある。

ただし、毎年のお年玉の幾らかは、使って良い事になっている。それで、時々まとまったお金の無駄使いも経験して、怒られてるので、多少はお金に慎重になってるのかも、しれない。

もっとも、親としても、ワザとお金で失敗させる為に、時々大きなお金を渡す事もある。それで詰まらぬ使い方をした時は、内心ほくそ笑みながら、大声で怒ったりする。

娘は、クラスの同年代の友達と比べても、やや変わった存在らしい(そう、本人が云っているし、たぶんそうだろう)。それでも、イジメられる事なく、学生生活を楽しんでいられるのは、彼女の人間的な才能(長所)の一つとして、考えてやりたい。

もし明日、彼女が死んでも、お互い悔いの少ない様に、今日をしっかり見て、話して聞いて、怒っても、一日の終わりは優しくしてやりたいというのが、昔から今に続く、私の子供への接し方の大原則です。

・・・で、合格祈願ですが、お金の無い娘は、お金がかからない方法を選んだ。

「お正月に、数の子とタラコを沢山食べるから、(お祀りしなくて)いい。」「なんで?」「◯が沢山とれるから。」・・・だそうです。

そう云えば、この子は食べ物で釣れば、どんな困難にも黙って立ち向かうのでした。

「毎年、沢山食べてるやん。」「でも来年は特に、沢山食べたい。」何かと理由付けて、自分だけ沢山たべようという、魂胆のようです。

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